many books 参考文献

好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

不確定性原理

2015-02-05 19:47:14 | 読んだ本
都築卓司 1970年 講談社ブルーバックス
きのうのつづき、もうひとつ物理の本。
難しいこと軽くわかろうと、私のような無精者が目論んだとき手にとったもの。
副題の「運命への挑戦」ってのは、現在の状態を把握して、因果律となる物理法則を研究すれば、未来のことは全部ぴたりと予測できるっていう、ラプラスの悪魔的なものがホントに成り立つのか、現実はそうぢゃないのか=不確定なものがあるのかってことを指してる。
持ってるのは1989年の第38刷なんで、量子力学に関心もったのと同じころ読もうとしたんだろう。
こっちのほうが、数式はいくつか出てくるけど、書いてあることの書き方がおもしろい。
たとえば、1900年のプランクの輻射の公式(?)について、ウィーンの式を手直しして分母から1を引いたことを、
>なぜ1を引けば実験と合うのか、プランク自身にもよくわからない。しかし大学は夏期休暇の直前でもあり、何ヵ月かをのんびり過そうと思っていた……のかどうか、ともかくプランク教授は
>「1を引きさえすればいいというなら、今度の講演はそれでいこうじゃあないか」
>とあっさりきめてしまった。
ってホントかウソかわかんない調子で書いてるとこなんかは、今回読み直してて思わず笑った。
全編そういう“お話”調なとこがあって、読み物としては楽しい。
肝心な中身、物理の理屈は、やっぱり私にはまったく理解できないけど。
序章が「巨人の星」と題して、大リーグボール2号=消える魔球をとりあげているんだが、これが秀逸。
大リーグボール1号、バットに当てる魔球については、打者を観測すれば、その後のバットの動く位置はわかるっていう、いわば古典物理的なボール。
それに対して、大リーグボール2号は、ボールがストライクゾーンのどこを通るのか不確定、あらゆる場所を通り抜けてくる波のようなものという、いわば量子論的なボールだと言う。
それはいいんだけど、この本は巨人の星が連載中で、まだ大リーグボール2号の消える理屈がマンガのなかでも説明されていない時点で書かれたものらしいんだが、この序章の最後に、物理学的には、
>「(略)波長の長い波を打者に送れば、いくらバットをスイングしても、波はす通りしてしまいます」
として、超スローボールを投げればバットではねかえされない、という論を展開している。
これって、大リーグボール3号の予言である、すごい。
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量子力学の世界

2015-02-04 19:57:50 | 読んだ本
片山泰久 1967年 講談社ブルーバックス
私の持ってるのは1989年4月の第46刷。
そのころ、なんでこんな本読んだんだっけ。
なんせ私ときたら、徹底的な文系人間だったはずだったから。
しかも文系で何かしたいことがあったわけではなく、数学が苦手で、物理が特にキライだったのが、そっち方向へ進む理由だったっていうのに。
まあ、たぶんホーキングを読んだころだと思うので、それで、いまさらマジメに数学や理科が勉強できるわけでもなく、なんかお手軽な入門書的なものを欲してたんだろうとは思う。
著者の名前を私は存じ上げないんだけど、湯川秀樹博士の弟子、理論物理学者で京都大学教授だったそうだ。
巻頭に湯川博士が序文を寄せていて、数式をひとつも使っていないで、これだけの内容を書くのはすごい、と感心したってことを述べている。
たしかに数式はない、『ホーキング、宇宙を語る』もその意味では同様の本だったので、そこに期待したんだろう、当時の私は。
大学教授とその友人の対話という態で書かれてて、すごく高度なQ&Aをしてる。
ちなみに副題として「はじめて学ぶ人のために」とあるけど。
わかるひとにはわかりやすいんだろうけど、私にはさっぱりわからんなあ。
今回読み直してみたけど、やっぱり何もわからんかった。
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知の論理

2015-02-03 17:55:15 | 読んだ本
小林康夫/船曳建夫[編] 1995年 東京大学出版会
こないだ読み返した、東京大学教養学部の文科系1年生のテキストである『知の技法』の続編。
本書の対象は、だいたい大学3年生らしいが、私が読んだのはもちろん学校を出たあとである。
紹介されているのは、学問における認識の枠組みや記述の論理の多様性や創造性について。
まあ読み返してみても、特になんという感想もないけど。
コンテンツは以下のとおり。
第I部 論理の発明
第II部 限界の論理・論理の限界
「論理を行為する」
「見ることの限界を見る」
「認知と神経の「場」」
「言葉が身体と化す」
「構造とリズム」
第III部 多元的論理に向かって
「こころを生けどる論理」
「生成する複数性」
「紫上の運命を縫いつける」
「神話論理から歴史生成へ」
「市場原理と共同体の問題」
「カオスとはなにか」
第IV部 歴史のなかの論理
「フィクションとしての他者」
「剣闘士のエロティシズム」
「「型」の日本文化論」
「フォーディズムと日本的経営」
「「現在」のナルシシズムに抗して」
「ポスト・ベーコンの論理とは?」
第V部 論理のプラクシス
「論理の応用」
「実践としてのテクスト分析」
「歴史のエクリチュール」
「卒業論文をどう書くか」
結び

各章の最後に、それぞれの執筆者があげる「20世紀この1冊!」という読むべき書物がある。
とても全部(どころか一つでも?)私が読むとは思わないが、リスト作っとくと何かの役に立つかもしれないから並べとく。
1953年 L.ウィトゲンシュタイン『哲学探究』
1951年 ハンナ・アーレント『全体主義の起源』
1935年 コフカ『ゲシュタルト心理学の原理』
1971年 Julesz,The Foundation of Cyclopean Perception
1900年 ジークムント・フロイト『夢判断』
1916年 フェルディナン・ド・ソシュール『一般言語学講義』
1972年 グレゴリーベイトソン『精神の生態学』
1965年 ミハイル・バフチン『フランソワ・ラブレーの作品と中世・ルネッサンスの民衆文化』
1949年 クロード・レヴィ=ストロース『親族の基本構造』
1955年 クロード・レヴィ=ストロース『悲しき熱帯』
1944年 カール・ポランニー『大転換』
1963年 E.N.Lorenz,Deterministic Nonperiodic Flow
1978年 エドワード・サイード『オリエンタリズム』
1949年 フェルナン・ブローデル『地中海』
1980年 ジル・ドゥルーズ/フェリックス・ガタリ『千のプラトー』
1973/76/79年 F.A.フォン・ハイエク『法と立法と自由I,II,III』
1927年 マルティン・ハイデガー『存在と時間』
1936年 エトムント・フッサール『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』
1907年 夏目金之助『文学論』
1988年 ジョーン・W.スコット『ジェンダーと歴史学』
1976年 リチャード・ドーキンス『利己的な遺伝子』
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めずらしくなんかうまく乗れたような気がした

2015-02-02 18:43:48 | 馬が好き
早いもんでもう2月である。きっと、あっという間に3月になり、4月になるんだろう。
一般的な「2月は逃げる3月は去る」ということばかりぢゃなく、とかく私の周囲ではこの季節はいつもザワつくと決まったものだが、私は今回無縁なので淡々と同じ毎日を過ごすようにしている。
というわけで乗馬に行く。
どうでもいいけど寒い。っていうか、無口とか馬着の金具とか触ってると、冷たくてヤんなる。
先週に続いて、今週も木曜日が雪予報みたいだが、どうなることやら。

きょうの馬はポートマジン。2週前に乗ったばっか。
みんな「ポーちゃん」とか呼ぶ、私は「マジンくん」と呼んだりする。
あいかわらず人懐っこくてカワイイ。近寄ってくと、フンフンと人のこと身体検査する。ポケットからカメラなんか出そうとすると興味津々という感じである。
足のほうとか触ってると、気づくと後ろからひとの帽子をつっついたり、背中をカプカプして引っ張ろうとしたりしてることがある。
ふつうの馬だとおもしろいから適当にいなすんだけど、この馬には引手とか頭絡や手綱を口の中に入れさせないことになってるんで、まあもうちょっと人と距離とれやと教えるつもりで、やんわりと拒否する。
さて、馬装したら馬場へ。なんか寒いからなのか、馬が元気元気。サクサク歩くのはいいんだけど、地下道の登りで速歩しそうになったからそれはさすがに抑える。

常歩でウォーミングアップする。いまにも速歩になりそうな勢いなのでちょうどいい。あまりギュウギュウ押したり拳引いたりしないで、まあ適当に歩く。
んぢゃ、部班。最初2番手に位置してたのに、途中から先頭にされる。
四隅にコーンを置かれて、中へ入ってこないようにていねいに隅角をまわる。まあポートマジンはそれほど苦労しないけど。比べるとわずかに右手前のときのほうが内に倒れる感じがするかな。
そしたら地上横木を通過する。何本も並べるんぢゃなくて、かなり距離をあけておいてあるのを通過するライン走行。
まっすぐのラインと斜めのライン、4か所の横木は「K」の字状にラインを形成しているので、まっすぐ抜けたあとは、一本またいだら右に角度振って2本目とか、その逆とかやる。
横木の中央をとおるのはもちろんだけど、角度ついた2本目にいくときは、内に入ったり外にふくらんだりしないように気をつける。
もちろん、ポートマジンは乗りやすいので、まったく問題がない。操作もしやすいし、ちゃんと前に出して入って行けば、横木の前後でリズム変わることも少ない。

んぢゃ、蹄跡を駈歩する。発進が軽い軽い。
「気持ちゆっくりで」と言われて、できるかなーとちょっと心配になったけど、あれ?なんか今日はおとなしくいうこときく感じ。
少し速くなりそうなところでおさえると、ガツンとぶつかってこないで、フッとゆずる感じがある。明確にかえしてやるようにして、いいぢゃなーい、落ち着いていこうよ、とか言いつつホメる。
油断すると、アタマが前下方向に下がりすぎるようなとこがあって、そのまま駈歩してると、回転とか速歩におとすときとかに、躓きそうになることがある。
つんのめっちゃダメだよ、と言いつつ、少し起こしたところで受けられないかやってみる。あまりうまくいかない。

ぢゃあ駈歩で一本だけの横木を通過。蹄跡のちょっと内に、長い辺の半分の位置に一本だけ横木が置かれる。駈歩だして、回転して横木に向かう。
入り口のとこに、まっすぐ入っていくように、コーンを馬1頭分という狭い幅で二つ置かれたので、そのあいだを通過してく。
リズムを変えないように横木をまたいだら、速歩に落として真っ直ぐ蹄跡までいってから回転。最後まで勢いで走り抜けたり、勝手に曲がったりさせない。
なんか、いいよ、ポートマジン。障害に向かってもぜったい迷わないタイプだってのは知ってんだけど、横木に向かってくときもエキサイトしないし、横木またいだあとに、おとなしくいうことをきく。とても乗りやすい。
何回か繰り返して、一旦おわり。
すこしラクにして常歩してると、なんかガツンガツンぶつかって手綱ひっぱろうという感じがしてきた。まだまだ駈歩でゲームがしたくてしょうがないのかな。

まっすぐのラインの横木通過で、ノーマルと一歩多く入れるのとをやって、歩度伸ばして一歩少なくするのもやりたかったんだけど、ちょっと走らせるには狭くて他の馬に迷惑そうだから、やめとく。
ひろい方に出てって、輪乗りで速歩をして、詰めたり伸ばしたりする。まだまだストライドがのびるんぢゃなくてピッチが速くなるだけってところから脱せないのはしかたない。
駈歩もちょっとだけやる。輪乗りでやってると、速くなりそうだから、抑えようとしたらスッと気持ちよくゆずる感じがある。もう、外の拳ひとつ前に出して、内の手綱ゆるめちゃって、ホメる。
なんも難しいことしたわけぢゃないけど、ひさしぶりに満足できた乗馬だったという気がする。

ポートマジンは手入れ後のリンゴで満足してたんぢゃないかと思う。
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