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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

よく動く馬で、ひさしぶりにプチ特訓

2015-10-19 17:58:46 | 馬が好き
乗馬にいく。2週間ぶり。馬にさわりたくて、ウズウズしてたところ。
きょうは、気候としてはいいんだけど、秋にしては陽射しがきついような気がしたんで、日焼け止めは必要。
きょうの馬は、コメット、だって。乗ったことないなあ?(←実は乗ったことあった、忘れてた。)
どこにいるか馬房割の地図をみて訪ねてったら、そこにはハフリンガーみたいな馬がいた。

コメットってどんな馬か知らんけど(←忘れてる)、さすがにこれは違うだろと思って、探し直す。
厩舎んなかの名札を見て、端っこのほうにいるのを見つけることができた。

朝晩寒いからかな、もう薄い馬着を着てた。
どうでもいいけど、なんだかハエが多くて、馬、大迷惑。
でも、となりの馬は、ハエがカラダにとまるたんびに、肢カツカツ鳴らして大騒ぎなんだけど、コメットはわりと悠然としてて、おとなしい。
さて、蹴飛ばされないか、シッポではたかれないかと注意しながら、馬装を終えて、最初に乗るのはもうひとりのうまいひとに譲って、馬場まで歩いてく途中で、過去日記検索したら、6月の試合の前の日に一回外で乗ったことがあったのを思い出した。
あー、先に乗せてもらって部班の一組目に入っちゃえばよかったな、部班の二組目は駈歩なさそうだしなあ、とか思いながら、先に乗ってるひとを見てる。
ひとが乗ってるとイイ馬だなあ、と思う。下顎のゆずりもよくて馬がとても丸くなってる、それに、なにしろ歩度伸ばしたときの踏込と肩の出、浮き上がるような動きがすばらしい。
私が乗ったら、ああはいかんな。なんせ前に乗ったとき、ブレーキ効かなくなりそうで危なかったもんな。背中をちょっと圧すと走りそうになったし。

「初めて乗ったけど、イイ馬です。体重移動に敏感で、騎座に反応してスッと出ます、そういう練習にいいですよ。」という言葉とともに手綱を引き継ぐ。
そうそう、騎座で推進というか、馬と重心が一致すると自然に前に出るってのは、やりたいことではあるんだけど。
あれって自分で力入れてないのに馬がスピードアップするから、ちょっと怖いんだよね。スキーでまっすぐ滑ってくような(←生まれてから2回しかやったことないんだけどね、スキーは)無力な感じがあって、一瞬コントロールを失ってるような気がするから。
さてさて、そうはいうものの、乗って常歩で馬のご機嫌をうかがってると、そんな簡単ぢゃないよ、馬の動きについてくのも、馬の口とコンタクトをとるのも。のびのびとした常歩には程遠いなあ。
ぢゃあ速歩しますか。軽速歩で、とにかく最初は馬を動かす、前に出す。
でも脚でバンバンやってると、「前に出す、急がせるんぢゃなくて、大きな動きをさせて」と言われちゃう。たしかに踏み込んでないなあ、受け止められてもいないし。
前に動かしたなかで、引っ張り続けるんぢゃなくて、コツンコツンとハミを当てるのを確かめるように、と言われて拳をつかってみるが、どうもうまくない。
軽速歩より正反撞のほうがやりやすいし、直線より円運動のほうがやりやすいし、と言われて、正反撞で輪乗りをして、ハミうけができるかひさしぶりにプチ特訓の開始。
開き手綱をつかって、馬がゆずったらこっちもかえす、ってのを繰り返すんだけど、なかなか形にならない。
「身体を傾けない、内に倒れない、真っ直ぐ乗る、馬が歪まないように、真っ直ぐ乗ったうえで内向ける」ということで、手綱を開こうとするときに前下方にバランスを崩すことを指摘される。
「アブミに立たない、しっかり座る」と言われて、正反撞なんだけど足に力を入れてアブミ踏んでるのを直す。脚使わなくても十分前に出てくれる馬なので、足に力入れずに膝と足首の関節を開閉するようにして柔らかく座ろうとする。
指を握る、馬が反応したら、力を入れない、馬が頭を上げたり下げたりしたらジッと耐える、望む位置に馬がきたらガチャガチャ余計なことは一切しないようにする、そんなことの繰りかえし。
力入れて引っ張るんぢゃなくて、馬に遅れないように人も動いてくなかで、拳を安定させるようにする。
無理強いするんぢゃなくて、そこにいてほしいとこでオフにする、それで馬にそこにいることがラクだと感じさせるように。
だんだん、できてきたかな。ムダに力入れる場面が減ってくる、乗ってて気持ちいい。たぶん馬もすこし納得してるから、このほうがラクだろう。まずまずコンタクトがとれてるように思える。
(あとで思い出したけど、ホントに完璧なハミうけだと、ふわっと手綱持ってるだけぢゃなくて、もっと手の中に馬の全身の力が伝わってくるもんだったけど。)
できると思い出すんだけど、「1.とにかく馬を前に出す 2.ちゃんと座る 3.拳を自由に、かつ安定させる」というようにすればハミうけはできるってのが基本なんだけど、ついついそれを忘れて、いきなり手だけで馬の口を何とかしちゃおうとかするから、おかしくなるんだよね、いつも。
「馬に気づかれないように少しだけ手綱伸ばしてみて」と珍しいこと言われて、そーっと伸ばすと、意外と馬の位置は変わらない、馬が自分で姿勢を保ってる証拠だ。
だいたいOK、私にしては上出来。ここでやめてもいいんだけど、やっぱちょっとだけ駈歩もする。
駈歩も坐りを大事に、どちらかというと速歩より人間が安定しやすいけどね私の場合は、馬の動き止めないように人間も動いてく。
どちらかというと左に傾くかな、左手前の輪乗りだと内に入りがち、右手前だと外にふくれがち。
輪乗りがグチャグチャなのでキレイに図形を描きなさい、手だけで方向をつけようとしない、真っ直ぐ座ってそのなかで、ということで輪に気をとられていると、前に出して!と振り出しに戻っちゃうんだけど。
でも、ちょと促せば、すぐ前に出てくれるんで、馬が人の前にいるというイメージはすぐできる、こういうのってすごい乗りやすい。
ちょっと詰めたり伸ばしたりして、最後は輪乗りを詰めて開いて、おしまい。

あー、楽しかった。ひさしぶりに、馬に乗ったぁ!って感じがしたねえ。
手入れしてるとき、やっぱりハエが止まるせいで馬が気にしてるから、こっちも気をつけてたんだけど、最後に後ろ肢の蹄油ぬってるときに、左足から右足に移ろうとしたとき、ガツンとヒザ蹴りを脳天に喰らってしまった。「蹴らないでくれよー」って言いながら、やってたんだけどねえ。
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掏替えられた顔

2015-10-15 21:48:46 | 読んだ本
E・S・ガードナー/砧一郎訳 1955年 ハヤカワ・ポケット・ミステリ版
ペリイ・メイスン・シリーズ、持ってるのは1989年の8版だけど、たぶん古本屋で買ったんぢゃないかと思う、私が実際に読んだのはもうちょっと後のはず。
きのうから、推理小説、とくに犯罪に関するウミツバメ的なものつながりということで。
というのも、この本の最後の最後で、秘書のデラ・ストリートが、メイスンに向かって、「(略)あなたって人は、殺人事件から殺人事件へ飛んで行くウミツバメなのよ。(略)」と言っているから。
ちなみに、前回でちょっと思い出した、ウミツバメに関する言い回しの原典は、「シャーロック・ホームズの思い出」のなかの『海軍条約文書事件』にあった。
何かの化学実験をやってるホームズのとこにワトスンが訪ねていくと、その実験を終えたとたんにホームズが、「なあに、ただの平凡な殺人事件さ。君はもっと面白い事件をもってきたんだろう? 君ときたらまったく犯罪の海燕だからな。(海燕が現れると暴風雨がくるといわれる―訳者) どんな事件だい?」と言うもの。
ま、それはいいとして。本書は、メイスンとデラが、つかの間の骨休めを終えて、ハワイからサン・フランシスコに帰る船に乗ったところから始まる。
実に珍しいことで、どうしていつも忙しいメイスンとデラがハワイに行ってたのか知りたくなるんだが、シリーズを順番に読んでないと、こういうどうでもいいところで道に迷ってしまう。
ちなみに本作の直前の物語は『カナリヤの爪』で、その前が前回読んだ『危ない未亡人』なんだけど、『カナリヤの爪』のなかにハワイに出かけてくストーリーがあったのか、本自体を探しても見つけられないので、いまのところ謎のまま、あー気持ちわるい。
そこのところのつながりはともかく、とにかく殺人事件の現場を飛んでまわるウミツバメのメイスンであるから、休暇が終わったら何かと戦いたくてうずうずしている。そこんとこを、デラに、
「ねえ、ポール―(略)この人と議論したって、なんの役にも立たなくてよ。とにかく、この人の頭には、謎ヴィタミンと、戦闘カロリーとが缺乏していて、今、大急ぎで、栄養のバランスをとりもどそうとしているところなんだから」
と評されたりしてる。
事件の調査のためには、例によって人使いが荒く、ポール・ドレイクの探偵事務所をフル稼働させるんだが、ポールは忙しいことをデラにこぼしたらしく、デラがメイスンに言いつけることには、
「さっきも、ポールは、自分の両親のことを、とんでもない間ちがいをやったものだって、そういっていたわ。五つ児に生まれりゃよかったのになあですって」
なんて言ってたらしい、身体が二つあってもまだ足りないってか。
肝心の事件の内容は、ハワイから帰る船のなかで同乗した婦人の依頼をうけたもので、夫が急に大金を手にして、娘をつれてハワイに旅行に来たのはいいが、夫は会社の金の横領とかなにか悪いことをしたのではないか調べてもらいたい、というのが、とっかかり。
ところが、その夫というのが、もうすこしで本土に着こうかという海が大荒れの夜に、船から転落して行方不明になってしまい、その殺人容疑がメイスンの依頼人である夫人にかけられる。
デラは、あの夫人のために戦うのは慎重になったほうがいいって、メイスンに忠告する、なにか裏事情に感づいているのか。
でも、一旦引き受けたからには、メイスンは徹底的にやるので、すごく不利な状況を打開するために、例によって例のごとく、危ない橋をわたる。
一芝居うちながら関係者に接近していくある場面では、「グズグズしていると、厄介なことに」なるとケンカ腰になる相手に対して、メイスンは「厄介なことなら、親類みたいなもんだよ」と笑う。
トラブル・イズ・マイ・ビジネスって文句はよくきくけど、厄介なことは親類だ、ってのはなかなかいい、さすがウミツバメだ。
さて、それはそうと、殺人の現場を見たって言い張る、ほんと厄介な証人が出てきて、なんせ自分でしゃべってるうちにどんどん記憶を塗り替えて、見てないものまで見たって思いこんぢゃうタイプなもんだから、この女性の証言を覆すのが大変、そこが法廷シーンの醍醐味になってるといえる。
証人が「とっくみ合うもの音がきこえました」と言うと、「今の『とっくみ合う』ということばは、証人の推断として、取り消しを申し立てます」とガツンといく、いいねえ。
検事が尋問で誘導しようとしたりすれば、すかさず「今の尋問は、問題の事実に関係なく、的はずれであり、無用であり、かつ、正当な根拠のないものとして、異議を申し立てます」といく、そこカッコイイ。
結局、法廷に立つよりだいぶ前に、この証人の存在を知ったとこで、その女性のイヴニング姿の写真を手に入れろって、ポール・ドレイクに命ずるところが、この物語のキーで、私がいちばん感心したところということになる。
ところで、原題「THE CASE OF THE SUBSTITUTE FACE」ってそのまんまだけど、なんで「掏替えられた顔の事件」っていうかっていうと、被害者の男性が、その旅行カバンのなかに娘の写真を入れていたが、それがいつの間にか娘とそっくりな女優の写真に替えられていた、っていうとこからきてる。
この娘とメイスンのやりとりも面白くて、
「あなたには、パパのことを、どんなふうに話していて?」
「どうして、君は、お母さんが、ぼくに、お父さんのことを話したと思うの?(略)お母さんに訊けばいいじゃありませんか」
「(略)なぜ、ママに訊かなきゃならないの?」
「ほかに訊く相手がありますか?」
「ご存じだったら、教えて下さらない?」
「教えなければならない理由がありますか?」
なんて具合に延々と、質問には質問で返して、なにも自分からは明かそうとしないメイスン。
そういうとこは思わず笑わされるんだけど、ストーリー展開は、いろいろ入り組んでて、誰が何のために写真をすりかえたのか、父親はほんとうに会社の金を横領したのか(本人は「富クジに当った」と言っていた)、ほかにも一癖も二癖もありそうな船客たちのちょっと変わった行動にはどんな意味が隠されてるのか、けっこう複雑なプロット。
推理小説として、かなり傑作かもしれない。つい最近読み返したんだけど、真剣に読まなくちゃならず、アタマ疲れてると先進んでいけないようなとこあった。
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三幕殺人事件

2015-10-14 20:56:45 | 読んだ本
クリスティ/中村妙子訳 昭和59年 新潮文庫版
こないだ夏のあいだにだったかな、読み返したポアロもの。
元俳優のチャールズ・カートライトが自身の所有するクロウズ・ネスト荘で開いた晩餐会で、ゲストとして招かれたうちのひとりで、誰にも恨みをかうようなことがないはずの牧師さんが、カクテルをみんなで飲んでたときに、バタッと倒れて、それっきり、変死してしまう。これが第一幕。
その何週間か後、カートライトのところの集いに出席していた一人の著名な神経科医が、自宅に友人を招いて晩餐会を開いたときに、食後のポートワインをみんなで飲んでたら、とつぜん発作を起こしたように倒れて、死んでしまう。これが第二幕。
病死なのか、それとも突然死っていったらいいのか、よくわからないけど、もしかしたら犯罪なのかもしれないって思い立った、両方の事件に係わりのある、サー・カートライトと、その友人のサタースウェイト氏と、エッグってあだ名のミス・ハーマイオニ・リットン・ゴア嬢は、真相究明の調査に乗り出す。
そこへしゃしゃり出てくるのが、毎度おなじみのポアロ氏。
そこらへんの巡り合せについては、作中の主要登場人物からも、
>つまり、特定の人間がいるから特定の出来事が起るってことさ(略)鏡のような湖上にボートを出しても難破する人間というのが、世間にはいるものさ。エルキュール・ポアロ氏の場合も、自分で犯罪を嗅ぎつけるまでもない。犯罪の方で彼の所に押し寄せてくるんだよ(p19-20)
なんて評されてる、まさに犯罪を運んでくるウミツバメってやつだよね、大迷惑、本人にそんな自覚はないかもしれないけど。
(犯罪を知らせるツバメって、ホームズのどこかにあったと思ったけど、なんだっけ?)
ポアロ自身は、そんなふうに自分が煙たがれることなんか気づいてなくて、
>いやいや、親切心からではないのです。好奇心ですよ
とか勝手なこと言ってるけど、歓迎されざる客かもしれないって一応言い出してみると、気をつかう周りから「とんでもない」と否定されたら、それを真に受けてたりする。(p.199)
で、それでもなんでもいろいろあって、事件の真相に迫る際になると、
>そう、まさに考えるんです。考えることであらゆる問題は解決します
とか、
>真相は内側から見ることによってのみ、知られるのですから(略)私は考えたいのです。まる二十四時間を私にお貸し下さい。じっくり考えてみます
とか何とか言って、まあ物語的必然から、真相にたどりつくことになる。
キーポイントは、第一の殺人の動機なのかな。ふつうありえないってものなんだけど、そこを掘り下げて、ポアロもそんなのもありかって結論に至るわけで。
どうでもいいけど、物語の冒頭、扉のうらに、
>演出 サー・チャールズ・カートライト
>演出助手 サターースウェイト氏 ミス・ハーマイオニ・リットン・ゴア
>衣装 アンブロージン商会調製
>照明 エルキュール・ポアロ
って登場人物の紹介があるんだが、ポアロの照明ってのが妙にツボにきて笑ってしまった。

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秋の十字架

2015-10-13 19:11:05 | 忌野清志郎
ラフィータフィー 2000年 SWIM RECORDS
んー、キヨシローでも聴くかー、と思ったはいいけど、秋だとなにがいいだろうかと迷いながらラインナップを見てたら、タイトルに秋がついてたので、これ。
このころのものは、私としては、聴き込んだという体験のない時代のものにあたり、はずかしい話だが、十字架シリーズ(冬・夏・秋)については、どれにどの曲が入ってたかって問題出されても、全問正解はできないだろう。
でも、ひさしぶりに、これ聴いたら、けっこうよかった。うん、いいよ。
「口癖」ってタイトル、誰のどんな口癖だろうって、歌になるからにはせいぜい男と女のあいだのたわごとか痴話げんかを想像するんだけど、
バカなんじゃない人類って 誰も仲良くできない
変なんじゃない人類って いつも傷つけあってる
愛が欲しいなんてただの口癖
って、すごいことを曲にしてる。
さみしくて我慢できないなんて一言も言ってない
君がいないと生きていけないなんて一言も言ってない
とかって、そういうことを言うために詞を音にのっけようとするのが普通のひとなんだろうけど、そこを「一言も言ってない」って言い方するのが、やっぱ尋常ぢゃなくていいなあ、と「ひとりの女性に」を聴いて、思ったりもした。
一、水の泡
二、ひとりの女性に
三、口癖
四、グレイトフル・モンスター
五、ユーモア
六、食えない男
七、クラス
八、凍えて眠れ
九、Good Night Sleep Tight
どうでもいいけど、九曲目が終わったと思ったあと、5,6秒の無音の短いトラックがずーっと続いてて、私の使ってるプレイヤーだと、31曲目のところからまた音が出てくるという、よくわかんない仕掛けが最後にある。
ラフィータフィーのクレジットだけど、特にキヨシローの担当パートがおもしろいので、ゲストも含めて参加ミュージシャンを書いてあるまま抜き出してみる。
忌野清志郎 ー 歌、ギター、オルガン、サキソフォン(M5,6)、法螺貝、ウォータホーン、パーカッション
藤井裕 ー ベース、パーカッション、コーラス
上原“ユカリ”裕 ー ドラムス、パーカッション、コーラス
武田真治 ー サキソフォン(M1,4,7,8)、コーラス
ジョニー・フィンガーズ ー オルガン(M1)
スティーブ・クロッパー ー ギター(M4,7)
coba ー アコーディオン(M2,5)
ワタナベイビー ー コーラス(M5)
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笑うな

2015-10-09 20:42:07 | 読んだ本
筒井康隆 昭和55年 新潮文庫版
星新一とりあげたら、つぎ並べるのは筒井康隆だろ、ってくらいのつながりで。
ほかにもいくつか短編集か長編かを持ってるかもしれないけど、これはショートショート集、持ってるのは昭和60年の19刷。
ショートショートにしても短いなってのもあって、ほんと短いやつは、文庫で2ページしかない。
独特のオチのつけようもあって、小説というよりは小咄みたいな感じがする、私には。
表題作「笑うな」は、電気器具の修理工が、電話で友人を呼びだして自宅まで来いという、話があると。
で、いざ面と向かうと、きまりわるそうにして、「あのう、実は」とか、「あの、マア、言うけどさ」とかモジモジしたあと、「言うけど、笑うなよ」と言う。
そのあとに切り出した本題が、「じつは、タイム・マシンを発明した」という驚愕の告白。
当然これが冗談だと思うと、このお話のなかでは、これが正真正銘のタイム・マシンを作ってしまったことになっていて、この二人はその実物を前に大笑い、実際に使用してみて大爆笑する、という何だがわかるようでわかんない話。
ほか33編が収録されてるんだけど、多すぎるので、ここにコンテンツを並べることはしない。


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