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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

進化した猿たち

2015-10-08 21:07:28 | 読んだ本
星新一 昭和57年 新潮文庫版 全3冊
前回の北杜夫の文庫の解説が星新一だったので、そのつながりで。
星新一の文庫はいくつか持ってたはずなんだけど、探してもこれしか見つからなかった、どこやっちゃったのか。
で、この全3巻は、いつものショートショートぢゃなくて、エッセイのようなもの。
といっても自分で文章書くだけぢゃなくて、アメリカのヒトコマ漫画のコレクションを分類して解説している。(マンガがテーマだから私は読もうと思ったのかもしれない。)
単行本の発行は昭和43年、雑誌連載(エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン)の開始は昭和40年だというから、かなり古い。
著者のそもそものヒトコマ漫画の収集は、孤島物から始まったらしいが、そもそも雑誌などで見かける数からして他のジャンルと比べて圧倒的に多いそうで、当時すでに約三千種を収集しているが、著者の想像するには四万種は存在するだろうと言っている。
ちなみに、次に多いのは、妻と浮気相手がベッドにいるところに夫が帰ってきた構図、情事発覚漫画というものらしい。
基本的には、マンガの話なので、全編気楽な感じで読めるんだけど、ときどき著者のこだわりがみえて、それはそれでおもしろかったりする。
>マニアという患者は自分勝手な定義を作りあげ、それを他人に押しつけて喜ぶ症状を呈するもので、私はいつも苦々しく思っているのだが、自分がその立場になると、同じことをやってしまう。(1巻p.22)
とか。
まじめな研究者(?)の一面もみせてくれて、
>アメリカのヒトコマ漫画の特徴は、画中の人物のだれかが、だれかにむかって、なにかをしゃべっているという点にある。(3巻p.2323)
として、誰が誰に発言しているかという外見で、先にあげた情事発覚漫画は分類できるとしている。
ちなみに、このアメリカ漫画の特徴については、
>(略)時には、なくてもいいような傍観者的な人物を描きそえ、そいつにわざわざしゃべらせたりしている。どの漫画もこの原則に忠実。りちぎと称したくなるほどだ。つまり、絵のなかに口をあけた人物が一人、かならず存在しなければならぬのである。(略)発言には責任がともなうという社会慣習のせいであろうか。(略)(2巻p.132-134)
と別のところでも解説してくれている。
さて、文庫3冊分、基本見開きの右1ページが文章左1ページが漫画、ってつくりの本なので、掲載されてる漫画の数はいーっぱいあって、どれがいいと簡単にはランクづけとかできないんだけど、今回読み返したなかで私がいいと思ったのは、天国漫画のひとつ。
(天国漫画ってのは、雲の上で、頭の上に輪っかがあって、背中に羽が生えてて、白い服を着た住人が、たいがい退屈そうに何か言ってるってジャンルなんだけど。)
地球を遠く見下ろす雲の上で頭に光輪のある二人のうちの一人が「地上でなにかあったらしい、あっというまに数十億人がやってきたと思ったら、あとはひとりもやってこない。」って言ってるやつ。
もうひとつは残念ながら画が載ってないんだけど、ネームだけ文章で紹介してあるやつで、求職にやってきた者に応対してる人事担当係というジャンルで、そのセリフが「わが社の雇用契約にある〈若いうちに楽しめコース〉というのをやってみませんか。三十歳から三十五歳まで有給休暇。あとは休みなく死ぬまで働くというしかけです」ってえの。
ちなみに、著者は自身の仕事について、
>机の原稿用紙にむかい一時間もすると、私はのどから胃にかけて、不快感におそわれはじめる。時には痛んだりする。(略)執筆が苦痛なのは、作家だれしも同じではないだろうか。朝は早くしぜんに目がさめ、筆をすすめながら笑いがこみあげ、思わず口笛でマーチを吹いてしまうなどといった作家は、あまりいないはずである。いやいや書くからこそ執筆なのだ。おもしろくてたまらなければ、それは遊興である。(2巻p.214)
と言っているけど、そんな苦しんでも、あんな軽やかで楽しいものが書けてしまうのだから、たいしたもんだと思う。
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あくびノオト

2015-10-07 20:00:05 | 読んだ本
北杜夫 昭和50年 新潮文庫版
ときどき読み返してる北杜夫の文庫、持ってるのは昭和56年の16刷。
エッセイ集みたいではあるけれど、短編小説と呼ぶべきものも入ってる。
なかみのほとんどは忘れていたが、今回読み返してみたら、いくつか私の記憶に残ってはいるけれど、どこで読んだか忘れてたものを、この本のなかで発見した。
大木の手入れをするのに、枝を下のほうから刈りながら登ってって、てっぺんまで行ったら降りられなくなってしまって、消防車に助けおろされた人物について、
>こういうバカは消防署を激怒させるだろうが、ノーベル平和賞を授与されて然るべき人物だと考えられる
って評したフレーズなんかが、そのひとつ。
>私の先輩の医者で、人間が怒ったときの神経の状態をいろいろと研究した男がいた。人が立腹すると神経はむろんのこと緊張する。従って筋肉も緊張する。腹部の筋肉もすべてヘソにむかって緊張し、その勢いでヘソがでっぱる。この状態を「腹が立つ」というのだとその男は健津論し、これを学会で発表すると言いだした。
っていう一節も、妙に記憶に残ってるんだが、これに収録されてたとはまるで忘れてた。
著者のペンネームについても、
>(略)まず東西南北を姓に順ぐりにつけていこうと思いました。(略)「トニオ・クレーガー」からもじって、北杜二夫としました。ある雑誌に掌編を投稿しようとしたとき、これではいくらなんでもと思い、真中の二の字をはずしました。(略)
って、照れ隠しのようにわざとテキトーな理由をつくって語ってるのも、そうかこの本のなかにあったのかって感じ。
コンテンツは以下のとおり。

なまけもの論
なまけもの再論
ホラ天国・八丈島
女人礼賛
アフリカ沖のながあい航海

第三惑星ホラ株式会社
少年と狼
彼は新しい日記帳を抱いて泣く
活動写真

人われを白痴とよぶ
当世医者心得
葡萄酒のこと
酒をやめさせる薬
ボロ車のこと
子供マンガはやはり害がある?
私の児童漫画ロン
名前のことなど
虫をくれるのは困る
一等船客失格
アフリカ・マイマイ
宮古島にて
沖縄のはずれの島
税関にて
大凧
宇宙の加速度
朝の光
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アブミあげでまさかの傷を負う

2015-10-05 18:28:27 | 馬が好き
乗馬にいく。今シーズン初めての長袖。でも、乗る時はもちろん、馬装するときから、手入れのときだって、袖を肘の上までまくってんだから、意味ないかもしれない。まあ、そういう陽気だということで。

きょうの馬は、マイネルレコルト、ひさしぶり。5月に障害練習したとき以来ぢゃないかな。
それはいいけど、なんか冬毛がすでにすごい感じ、そんなに寒くないでしょ、きのうまで25度はあったのに。
寝っ転がってたのか、ホコリまみれになってるのを、キレイにするのに手間かかったけど、どうにか時間までに馬装する。
鞍といっしょに、マルタンと胸がいがあったんで持ってきたんだけど、両方は着けんだろって話になって、先に着けちゃったマルタンのほうだけ活かすことにする。(マルタンより胸がいだけのほうが私の趣味だったのだが。)
なんか乗るときに少々うるさい(何かにビックリする?)イメージがあったんだけど、特におかしなそぶりもなく、安心してまたがって馬場へ行く。
とても元気な歩きっぷりだなあと思いつつ、馬場に入ったら、腹帯とアブミをなおして、常歩する。
アブミ履かないで、手綱は伸ばしたまま常歩する。馬上体操のちゃんとしたやつはしないけど、スペイン常歩のイメージで脚をテキトーに振ったりする。
隅角にさしかかると内に入ってくるので、こんどは手綱を真っ直ぐにして、内の脚をピタッと馬につけると、それで隅角の奥までまっすぐいく。そしたら手綱開いて、まわる。なんか通じてるっぽいのがうれしいので、ホメる。

ぢゃあ部班をやりましょう、先頭だって、はーい。
軽速歩をスタートすると、おお、いい動きだ。なんぼでも速くできそうなので、ちょっとセーブする。
ブレーキかけたら、すぐかえしてやるのが大事、ひっぱりっぱなしだとバトルになる、この馬に乗る時は特にそこ注意する。
斜めに手前を替えたり、巻乗りしたり。隅角や回転するところで、あたりまえかもしれないけど、なんかスピードおちるようなとこあるので、意識して隅角の少し前(特に斜めに手前を替える前)とか回転入る前に脚を使ってエンジンかけていく。そうすると、わりとスッと動いてくれる。
んぢゃ、いったん常歩。速歩と常歩を何度も移行。一歩目からいい速歩を、逆のときも一歩目からいい常歩を。
常歩で、馬の動きに同調できるように動いていかなきゃと思ってると、おしりをおしつけるようにしない、馬の左右の肢の動きを感じて、8の字に揺られるように、自分でやるんぢゃなくて、馬の動きによって8の字を描かされるように、もちろんそれが感じられるくらい馬が動いてくれている状態で、と言われる。左右のどちらかが出ていくとか、前後の揺れとかはわかるけど、8の字にはならないよ、私の骨盤から下。
ぢゃあ今度はそれを速歩でも感じるよということで、速歩で正反撞。
速過ぎるとわかりにくいので、もうちょっとだけゆっくりでと言われて、スピードダウンさせると、そこで手綱ぢゃなくてシートで詰めると言われる、むむむ。
んぢゃ、アブミはかずにやりますか、ってことで涼しくなったとたん練習が濃くなってませんか。
アブミないなら無いで、そのほうがやりやすいこともある。マイネルレコルトは、いい反撞してるので、なかなかたいへんだけどね。馬に遅れると余計はねあげられるようになるので、ブランコの立ち漕ぎで前に行くときのようなつもりで動いてく。
ふくらはぎから下で馬体にしがみついてはいけない、腿から膝が軽く締まる程度で、あとは地面に立つように真っ直ぐにと。いつも爪先を外ぢゃなくて前に向けてって言われるんだけど、きょうはあまり考えずに力を抜いていく。脚を長く、と何度も言われる。
脚をこすりつけるように使わない、そうすると動きが止まる、単発のキックで馬に動いてもらうように、ということでポンと使ったら、そのあと手でジャマしないようにって繰り返す。
人間が遅れるから馬が動けなくなる、馬が重いんぢゃなくて、人間が馬を重くしている、ということでヘソが脚を追い抜いていくべく動いてく。くー、いい反撞だ、マイネルレコルト。

ぢゃあ駈歩もそれでということで、アブミはかずに輪乗りで駈歩。
内方の坐骨を前方に位置させるというか一歩ごとに滑らせてかなきゃいけないんだろうけど、それは考えない、考えると力が入って自分で関節固定しちゃうから。
駈歩と速歩の移行を繰り返す。駈歩の一歩目で上体が前かがみになってしまうのは動きについていけてないからだと言われるが、私は逆に速歩にする瞬間が、騎座が浮いてしまって鞍の前に落ちるかのような感じになる、これなかなか直んない、とほほ。
駈歩してると、ぶらぶらしてるアブミ(ちゃんと馬の背に上げてない)に自分の足が引っ掛かって、バランス崩しそうになる。いちどバランス狂うと、戻ろうとか、右が左がとか考えてるうちに、どんどんおかしくなってくる。落ちそうになった反対側の足を下げる、と言われて真っ直ぐ下げる、しがみついたりしない、力抜いて下げる、それで真ん中に座れるようになる。
駈歩左右の手前でやって、おしまい。乗り替わり。
いやー、アブミあげの時間は長かったかもしれないけど、でも、よく動いていてくれたから、そんなしんどくはならなかった。
なんせ、ふくらはぎを固くして、なにかを両脚で強く挟む、って動作をすると(ムダに繰り返すと)、人はあっという間にスタミナを消耗するもんだってのは経験的に知ってるから。(おそらく寝技で関節技とかスリーパーホールドを仕掛けて、極まらないとかえって攻めてるほうが疲れるのと似てるのでは?)その点、今日は、力抜いてたからねえ。
とかなんとか言って、腰が痛くなるのはいつものことなんだけど、今日はウチ帰って見たら、おしりの皮が一部めくれてた、どして? 私は初心者のころでもこれやんなかったんだけどな。しかし、左だけってのが、傾いてる証拠なのか!?

それにしても、前より乗りやすくなったんぢゃない?マイネルレコルト。とてもいい感じだ。
手入れのあとに、リンゴやっても、あんまり喜ばないのはあいかわらずだけど。(義理で2口くらい食うが、あとはどうでもよさそう。)自分の馬房に早く帰りたいっぽいから、なるべく早く帰してやるようにはしてる。
どうでもいいけど、きょうは、ふだん一緒に練習しないような馬が、隊列に入ってたりしてた。
いーなー、私が乗りたかったなー!(体重制限あり?)


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フライパンひとつで77の裏ワザ

2015-10-02 21:16:36 | 読んだ本
検見崎聡美 2014年9月 青春文庫
(著者名ほんとは「」の字だけど環境依存文字なので)
前回から料理つながりで、タイトルの上には「これは便利!」がつく、実用書という感じでもないが、フライパンの使い方の本。
以前、どっか出先の書店で見かけて、おもしろそうだなと思ったけど、それから飲み会に行くとこだったんで(手ぶらの習慣なのにヘタに文庫ひとつ荷物に加わっても、きっとどこかに置き忘れちゃうだろうなんて思って)、買わずにおいたんだけど、後日書店で探そうとしたら、タイトルも本の大きさも忘れてて、しばらく見つけられなかったという、しょうもないいきさつもあるんだが、買って読んでみた今でも、ホントにあのとき書店の棚で目にとまったのはこれだったのか自信もない。
さて、フライパンの便利な使い方ということだが、ふたをつかって蒸すことができるとか、魚もフライパンで焼いたほうが火のとおりにムラがないとかいうのはいいけど、ガスコンロの五徳の上に焼き網を置いて、その上にフライパンを乗せれば、卵焼きの火加減がちょうどいいとかいうと、それはめんどくさそうと言いたくなる。
あと、日本酒の空き箱かなんかのなかに食材を吊るせば、フライパンで燻製もできる、とか言われてもねえ、意外なのは確かだが、私はやらんだろうな。
それはそうと、フライパンを使ってできるという料理は、さすがにいっぱい並べてあって、適当に抜きだしてみても、ミートローフ、焼豚、焼きとうもろこし、焼き鳥、かき揚げ、蒸し鶏、きんめだいの煮つけ、などなど、ジャンルを問わず、いろいろあって、ページをめくってて退屈しない。なんか雑学書に近い気がする。
ベイクドチーズケーキとかバームクーヘンとかチュロスとかナンとか言い出すと、いいよそこまでしなくって、って感はあるけど。
青菜炒めは熱湯少々を入れる、みたいなことのほうが役には立ちそう、実際にまだやってみたことないが。
まあ、いろいろあるけど、繰り返し出てくるのを見てると、フライパンの使い方としては、弱火で最初に十分温める、ふたをして蒸し焼き状態を利用して火を通す、くっつかないようにときどき揺する、最後火を強くしてパリッとさせる、といったことを組み合わせれば、単純に焼くだけぢゃない広がりが出るということでいいのかなと。
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ステーキを下町で

2015-10-01 20:08:31 | 読んだ本
平松洋子 画・谷口ジロー 2015年8月 文春文庫版
『孤独のグルメ2』の巻末に解説文を寄せている平松洋子さんの本。
『サンドウィッチを銀座で』がけっこうおもしろかったので、この夏に文庫の新刊がでたところを買って読んでみた。
初出は2010年7月から2012年12月の月刊誌に掲載されたものらしい。さんまが不漁だとか、地震で存続が危ぶまれた「うに弁当」を食べにいくとか、そういうのは当時の話題だったんだろう。
さて、個々の料理はいいとして、著者の
>(略)いつのまにか、やわらかいことがおいしさの条件になってしまった。(略)おとなのごはんは離乳食ではありません。(略)噛んで、噛みしめなくて味わわなくてどうする。(略)(p.161「ぐっと噛みしめる」)
みたいな意見には、おもいっきり同意しちゃいます。
だけど、レモンかけちゃうのは同意できない。
>(略)はらりとほどけたごはんにもウニの味わいがじわっと沁みこんで、まことに上品な味わい。添えた薄切りのレモンを搾ってみると、きりっとさわやかな切れ味がいや増した。(略)(p.211「三陸の味、北リアス線に乗って」)
って、せっかくウニおいしいのに、それはないでしょう。
さてさて、一読したとき一番おもしろかった章は、餃子の王将でした。
料理の味というよりも、会社の基準の原価率を守れば、どんなメニュー出すかは店長の裁量に任されてるんだとかって、お店のシステムみたいな話が興味深い、そりゃ知らなかった。
もう何年も私自身は餃子の王将には入ってないけど(これは近くに店がないとこに住んでたのが長かったのと、量多いのは食えなくなったことによる)、むかし誰かに聞いたことには、メニューの書き方で大阪流だか京都流だかのふたつの系統があるとかって話だったと思うんだが、なんかそういうわけでもないらしい。
メニューの名前となかみと値段を律儀に書いてたりするが、たとえば炒飯について「ごはんに独特のパラパラ感と風味があるのは、あらかじめ味をつけて炊いているからだ。(p.131「はじめての「餃子の王将」」)」なんて細かい取材情報があると、食いもの・料理についてはどうでもいいと言いつつも、やっぱ妙にひきこまれる。
それでもなんでも、最高のつけあわせは、2頁見開きか1頁の、谷口ジロー氏のマンガである。
コンテンツは以下のとおり。
・梅さんの豚丼
・黒豚ラブ
・津軽の夜はいがめんち
・朝の大衆酒場、夜はスナック
・ステーキを下町で
・てぃーあんだの味
・はじめての「餃子の王将」
・根室のさんまにむせび泣き
・ぐっと噛みしめる
・鮟鱇がもっくもっく
・赤目四十八瀧、運命のうどん
・三陸の味、北リアス線に乗って
・ただいま東京駅、発車時刻三十分前
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