many books 参考文献

好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

羽生善治×AI

2019-04-13 18:31:16 | 読んだ本

長岡裕也 2019年2月 宝島社
これは、片上大輔七段がブログで「よくこれだけ書いたなあ」と評していたので、読んでみることにした。
羽生永世七冠と10年間にわたり研究会(VS)をしてる、羽生さんより15歳下の著者からみた羽生さんのことが主で、この際AIはあんまり関係ない。
羽生さんから研究会の相手として指名されたことは「謎」とまで書いてるけど、
>(略)私が序盤研究の情報を一方的に羽生さんに伝えているといったことはない。(p.198)
ということなので、そう単純なことでもなさそうだ。
ソフトの影響も含めた、最先端の戦術等について、羽生さんは、
>(略)「より先入観が少ないと思われる下の世代の棋士の感覚を取り入れる」という堅実な選択(略)(p.188)
をしているんだろうということらしい。
著者の見立てでは羽生さんが先入観にとらわれない指し手を選択してるのは、「能力に加えて本人の明確な課題意識による努力」があるんだという。
羽生さんはよく読むからねえと私なんかは思う、ふつうのひとが読みを打ち切るところからさらに掘り下げてることがよくあって、選択肢を簡単には切り捨てない。
羽生さんがソフトに頼らない点については、実力があるから勝つための手を機械で探す必要なんかなくて、
>(略)未知の局面に入る前に、ソフト的に言えば「マイナスに大きくふれる手」だけは指さないよう注意する(略)(p.167)
のが大事だっていうスタンスというか姿勢だからってことになるらしい。
そうなんだよなあ、簡単に結論が出ると思ってなくて、混沌となることを怖れないのが強さなんだよなあと思う。
そういやあ、去年の竜王戦の何局目かの終局後に、ソフトの評価が悪くなった手を訊いた観戦記者がいたみたいだけど、そのとき機嫌悪そうだったなあ、羽生さん。
第1章 1本の電話
第2章 「VS」の真実
第3章 ソフトとの10年戦争
第4章 人工知能時代の本質

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

桃太郎・舌きり雀・花さか爺

2019-04-09 18:39:06 | 読んだ本

関敬吾編 1956年 岩波文庫版・日本の昔ばなし(II)
河合隼雄さんを読んだら、なんとなくおはなしを読むかって気になって、岩波文庫の二冊目。
きいたことあるやつ、ないやつ、いろいろだが、小学生のときにきいておもしろいとおもった「三枚のお札」はなつかしかった。
山んなかで鬼婆につかまってしまった小僧がお札を身代わりに残すと、お札が「まだまだ」って答えるってやつ。
あと、落語のねたがけっこうあったりして、「たのきゅー(高知県高岡郡)」とか「こんにゃく問答(長野県下伊那郡)」とか、むかしばなしだったんだーと再認識。
「三人の商人(山梨県西八代郡)」の古金屋が「古かねー、古かねー」って売り声あげるのも、なんか小話であったよね。
「三年寝太郎」の近辺には、うそつきの話がわりと固まってんだけど、一読したなかでおもしろかったのは「智恵あり殿(新潟県南蒲原郡)」。
家にあがりこんでた村の旦那さまをなぐって殺してしまった男が智恵あり殿に相談すると、智恵あり殿は死体を若い衆が博奕をうってる家の戸口にもってく。
若い者が立てかけられてる旦那を棒でもって叩くと、殺してしまったと思い、また智恵あり殿に相談する、って話。
コンテンツは以下のとおり。
桃太郎
桃の子太郎
竹の子童児
竹きり爺
灰坊
百合若大臣
かえるの報恩
狐女房
文福茶釜
みず木の言葉
山梨とり
鬼の妹
鬼が笑う
舌きり雀
猿地蔵さま
鼻たれ小僧
沼の主のつかい
おきあがり小法師
味噌かい橋
夢見小僧
三年寝太郎
最後のうそ
うそ袋
尻なりべら
鼻かみ権次
もとの平六
智恵あり殿
話千両
和尚と小僧
 1かい餅の親
 2耳にふとん
 3かみがない
三人のむこ
御意の頭
馬鹿むこどの
 1こうするものだ
 2一つおぼえ
 3むこの秋ぶるまい
三人のくせ
こんび太郎
鷲の児
蛇むすこ
べに皿かけ皿
お月お星
鬼のむこ
三枚のお札
猫と茶釜
しっぺい太郎
山わろと狩人
たのきゅー
花さか爺
腰おり雀
鯉の報恩
竜宮の猫
塩ふき臼
一目千両
鼻のび糸巻
宝ふくべ
宝下駄
宝の化物
若返りの水
あわて者
金を拾ったら
三人の商人
二人の無精者
おろかな親父
 1女房鼻くそになる
 2女房の出口
 3胸で小豆をにる
雪女房
尼裁判(松山鏡)
おろか村の人々
 1「ねぎ」を出せ
 2鯛をつくる
 3芋をころがす
もぐらもちの嫁
こんにゃく問答
二反の白
仁王とどっこい
狸の巣
藁のおくりもの
はてなし話

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

こころとお話のゆくえ

2019-04-08 19:07:58 | 読んだ本

河合隼雄 二〇一七年 河出文庫版
これは昨年11月に、たしか買い物の合間に、つい気になって買った中古の文庫。
もとは『平成おとぎ話』という2000年の潮出版社の単行本だということで、もともとは1995年から1999年まで京都新聞にそのタイトルで月一連載されたコラムだって。
そう、河合先生ときたら、「おはなし」だ。
本書のなかにも、留学生としてはじめて外国に行ったときに、自由英作文の課題が「子どものときになりたいと思った職業」だったので「紙芝居屋になりたかった」って書いたって、いいなあ。
それと、前に読んだ本で、もう今後の人生では「おもろない」ことはしないと決めたみたいな宣言があったけど、本書でも、
>(略)私自身は自分の職業を考えるときに、「面白屋」というのがいいかなと思ったりしている。
なんて言ってて、当時は政府関係の仕事なんかもけっこうあったみたいだけど、おもしろいこと探したり紹介したりして楽しんでたようだ。
もちろん本職の心理学の話もあって、いくつかには興味をもたされた。
兵庫県の生野学園という高校の副理事長が
>不登校の重症の子どもたちに共通して見られる問題点として「誰かに同一視する」あるいは「同一視する人を見つける」ことが非常に困難だという事実がある(略)
と言ったということをとりあげて、同一視の体験の重要性を解説してる。
>(略)誰か他の人に対して、自分も「あの人のようになろう」と思ったり、その人の真似ばかりしたり、するような状態をいう。(略)これは人間の成長にとって非常に大切なことだ。(略)そこまで思いこんで努力してみることによって、「やっぱり、自分はこの人と違う」ということがわかり、自分自身の生き方というものがわかってくる。
>(略)人間の個性などというものが、そんなに簡単に見つかるはずはない。誰か自分のほかに「生きた見本」を見せられて、あれだ、と思って努力し、苦労してこそ自分の個性が見えてくる。(p.44-45「幼少時の親子関係の大切さ」)
っていう話なんだけど、幼少期にそういうのうまくいかないと、いいおとなになってから(当時の時節柄でとりあげてんだと思うんだけど)危うい教祖とかにそれ求めちゃうことになったりするって。
そうかと思うと、フィッシャー=ディスカウという歌手がシューベルトの歌曲の指導を日本の生徒におこなったテレビ番組をとりあげて、
>(略)フィッシャー=ディスカウが、このように歌うのだと生徒に歌ってみせ、生徒がそれを聴いて歌いはじめるとすぐに「まねをしないで」と言ったときであった。先生が歌うことによって生徒に教えようとしているのは、その「歌い方」を真似よということではない。自分が歌っているような「たましい」をもって、生徒が自分の歌を歌うように、ということなのだ。(p.70「まねをしないで」)
というとこに感銘を受けたとして、先生を真似してもはじまらない、先生から生徒に伝えるべきは「たましい」なんだという話で、教育の本質に関する考えを展開してる。
出ましたね、キーワードである、たましい。なんなんだろうな、わかるようなわからんような。
そのへん、谷川俊太郎からもらった武満徹のCDにふれてる章で、
>センチメンタルの特長として感情の過剰ということがある。場にそぐわない、あるいは、個人としてもてあましてしまう感情が溢れる。どこかで現実を見る目がぼやてくる。(略)
>それは美しかったり素晴らしかったりするが、そこから少しはずれると一挙に馬鹿らしくなる。そこが浅いのだ。私流の表現で言うと、感情にはたらきかけてくるが、たましいとは無縁なのである。(略)
>センチメンタルな作品は錯覚を生み出す力をもっている。それに乗ってしまうと、感情の揺れがたましいの揺れのように感じさせる作用をもっている。(p.73-74「センチメンタルの効用」)
なんて解説もあって、たましいは感情とはちがうんだという。うん、ちがうだろうな。
各章は、ひとつあたり文庫で3ページと短いもの、53話あって、多いからここに題名は並べない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする