many books 参考文献

好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

かいつまんで言う

2021-03-14 18:28:04 | 読んだ本

山本夏彦 昭和五十七年 中公文庫版
丸谷才一さんが褒めるものだから読んでみようと思った、山本夏彦さんのエッセイ、前読んだ「毒言独語」といっしょに古本屋で買った。
一冊買うも二冊買うも手間はいっしょなんだから買えるときに買っとくのだ。
開いてみたら、サブタイトルが「編集兼発行人二冊目」となっていて、この前段として「編集兼発行人」という本があるらしいが、まあ一冊読んでみたところでは、前のを読んでようがいまいが、書いてあることはたいして変わらんだろうと予想されるので気にしない。
初出は「週刊文春」の「夏彦・七平リレー時評」というコラムで、それで自分の書いたものだけ集めて単行本だしたのが昭和52年だという。
なので時評というのは、その時代のこととなるが、まあ日本って国はたいして中身というか本質というか変わっちゃいないもんだ、というのは前の本読んだときも思った。
丸谷才一さんによる山本夏彦さんの思い出話として、外山滋比古さんと三人で座談会をしたときのことが「夕立」って随筆に書かれていた。
時間の30分前に着いて外山さんとウィスキーの水割りを飲んで待っていたら、5分前に山本さんが到着、編集者が水割りをすすめると、「座談会は仕事でせう、仕事をしながら酒は飲みません」と厳しい態度。
こっちの二人が飲んでるのを気づいてるのかいないのかはわからないけど、「下手なことを言つたら頭ごなしに叱られさうだ。息を詰めて、じつとしてゐるしかない。何しろ相手は寄らば斬るぞみたいな小父さんである。」と、二人で小さくなっておびえていた、って話。
まあ、そういうひとらしいんで、だから、このエッセイに書いてるのも、そんな感じで、最近の世間のものはけしからん的なものが多い。
正論なのでお説ごもっともとしか言いようがない、丸谷さんは「愛嬌がある」とかいうけど、読んでそんなに愉快だとは私は思わない。
なにしろ、コラムの読者からの投書の指摘に対して、
>この欄の読者から、私はときどき「へそ曲り」だと評されることがある。(略)同じことなら「つむじ曲り」と言ってもらえばもっと有難い。(p.160)
と言って、なぜなら「へそ曲り」なんて言葉は昭和初年まではなかった新しい言葉で、歴史のない尋常でない言葉は自分は認めない、なんて言いだすくらいへそ曲りなんである。
ただ、老齢のものが居座る弊害についての論はおもしろかった。
ワンマン社長は自分以外に社長はつとまらないと思ってるが、その老人にできることならだれでもできるとまわりは思ってて、実際いなくなればできてしまう、というところから。
政治家は年をとりすぎているから、これを改めるには、70歳以上は選挙に出てはいけないことにすればいい、という。
それだけなら誰でも言いそうなんだけど、返す刀で、選ぶ方も制限する、70歳以上には選挙権を与えないことにするっていうんだけど、「医療も電車もただで、老人年金でくらして、もっぱら他人の世話になるだけ」の老齢者は一人前ぢゃないんだから、と言い方が厳しい。
で、おかしいのはこっからで、寿命が延びたって、人間やっぱ五十になったら一線を退いたらいいと主張し、
>昔はいいあんばいに死んだが、今は死なないなら、昔の人のように隠居すればいいと思っている。隠居するというのは、昔の人の叡知で、爾今自分は現役でないと友人知己に声明して、口出しすることを自ら禁じたのである。(略)
>薄情のようだが、これが自然なのである。新陳代謝といって、古いものは去らなければいけないのである。十年前にしばしば遊んだバーへ十年たって行ったら、一人も知った女がいないのがいいのである。尋常なのである。「まあーしばらく」と言って、十年前の女たちが勢揃いして出てきてはいけないのである。それは「失礼」なのである。(p.136)
っていうんだけど、後段のたとえが爆笑もの。「尋常」とか「失礼」とかって決めつけもいい。
コンテンツは以下のとおり。
すべてこの世は領収書
 ピルはそんなに安全か
 映画「大地震」を見る
 人生の快事立小便
 今の老人昔の老人
 すべてこの世は領収書
記事と広告と
 出かせぎ人はいつも善玉
 キャンペーンならみんな眉つば
 広告われを欺かず
 拷問のある国ない国
生きがい
 現代の姥捨
 生きがいと差別と
 人か鬼かバス運転手
 続・人か鬼かバス運転手
 生きがいトラックは行く
 竹の柱に萱の屋根
婦人たち
 「修身」は死なず
 婦人参政権無用論
 さらば東大コンプレックス
 知らない
色々なすすめ
 夢枕に立つがよい
 判をもらえ判を
 国労動労を生けどりにする
 これを新陳代謝という
 もう一度ご判を
日本語は改まる
 鳩子のあやまり
 名は実である
 歳暮筆硯を新たにする
 「つむじ曲り」を辞書に見る
 国語の破壊者「新聞」
 国語の破壊者「学校」
戦争と平和
 戦争感覚のない国
 事実が存在しない時代
 歓声と拍手
 戦争あるべし自然なら

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グローバリズム以後

2021-03-13 18:24:21 | 読んだ本

エマニュエル・トッド 2016年 朝日新書
ちょっと前にエマニュエル・トッドの新しい本をひとつ読んだんだけど、要領を得なかったんで、なんかもうひとつと思って1月の末ころに買ってみた古本。
いろいろ著書あるみたいだけど、分厚くて専門的そうなのは避けて、大きな本は置き場所がないこともあり、なにか新書でいいやと思った。
サブタイトルの「アメリカ帝国の失墜と日本の運命」ってフレーズもなかなか魅力的なので、これにしてみた。
そしたら、しまった、イメージとちがった、著者名と並んで「聞き手・朝日新聞」って書いてあって、朝日新聞による著者の日本向けインタビュー集だった。
まあ、ある意味わかりやすくていいんだろうけど、なんか片寄ってんぢゃないのって危惧もないでもない。
1998年から2016年までのインタビューが収められてるんだけど、どういうわけかインパクトを狙ってなのか、新しい順から並べられている本。
やっぱ歴史のことだし、このひとが前にどんなこと予言して、そのあとどんなことが起きたのかってふうに読みたいんで、ふつうに時系列にしてくれればいいのになという気がする。
比較的新しい2016年の話のなかでおもしろいのは、ドイツのこと。
ヨーロッパがEUとしてひとつになってやってくのはムリで、フランス人もドイツ人も自分の国のことを考えるようになっていて、
>夢だとか、好みだとかはさておき、欧州の現実ということになると、それは、欧州が解体しつつあるということになるのです。(略)
>最後の神話が粉砕されたのは、移民危機が起きたときからです。しばらく前から、ドイツが一人でいろいろなことを決めてきました。原子力から抜け出し、ロシアに対しての東欧政策を決め、だれの言うことにも耳を傾けなくなった。
>しかし、移民の危機まではフランスやイタリアのエリートたちの間に、ドイツに対する一定の敬意はありました。
>なんといっても規律正しい国ですから。ドイツというのは人々が従う国です。(P.42)
って言ってんだけど、移民の受け入れをドイツが呼びかけたところからドイツはヨーロッパに混乱をもたらす存在になったという。
それはいいんだけど、みんなが指導者に従うドイツの国民性に比べて、「フランスの指導者であるということは、恐ろしいことです。だれも従わないのですから。」って自分の国のことを言ってるのは笑う。
別の章では、ヨーロッパだけぢゃなくて、人類の歴史にとって大きな転換期にきているといい、
>(略)4つの要素、つまり(1)共同体的な信仰の喪失(2)高齢化(3)社会を分断する教育レベルの向上(4)女性の地位の向上、これらを合わせると、私たちはまったく新しい世界にいるということになるのです。人類学的な革命と言えるでしょう。(P.82)
と分析しているんだけど、そう、そういうスケールでかい話を聞きたかったんだ、私。
あと、2008年のインタビューでは、2001年以降の世界情勢ではヨーロッパ・アメリカとイスラム世界のあいだで文明の衝突が起きている、みたいな意見が世にひろがってるけど、そうではないという。
イスラム世界が近代化への移行の時期を迎えていることから起きている現象が危機として映っているというんだけど、近代化とは何かっていうと、識字率の向上と、
>識字率の向上は人口面にも革命的な変化をもたらす。出生率の低下だ。(略)どんな社会でも識字率が上昇してこの段階にさしかかると、伝統的システムと決別するための政治的危機を経験する。18世紀のフランス革命や20世紀初頭のロシア革命とその後のスターリン主義、中国の文化大革命などがそれだ。(P.148)
と出生率の低下で世界を説明するとこが、歴史人口学者の面目躍如たるとこで、非常に刺激的である。
前に読んだ本でも自国フランスの人たちと相性がわるいようなこと言ってたけど、やっぱり一般的なフランス人を批判するような意見は攻撃されるらしく、本書でも、
>今日の社会で表現の自由を妨げるのは、昔ながらの検閲ではありません。今風のやり方は、山ほどの言説によって真実や反対意見、隅っこで語られていることを押しつぶし、世論の主導権を握ることです。(P.112)
という具合にチクリと抗議してるんだけど、そういう世論形成の事情って日本もひとごとぢゃあないなと思うわけで。
コンテンツは以下のとおり。
I 夢の時代の終わり(2016年8月30日)
II 暴力・分断・ニヒリズム(2016年1月27日)
III グローバル化と民主主義の危機
 好戦的な、いわば狂気が世界に広がりつつある(2015年2月19日)
 「国家」が決定的な重みを持つ時代(2014年7月8日)
 ユーロは憎しみの製造機(2011年12月9日)
 民主主義はだれを幸せにするか(2011年1月8日)
IV アメリカ「金融帝国」の終焉
 今や米国は問題をもたらす存在でしかない(2008年10月30日)
 グローバル化は単なる経済自由主義ではなく、より厄介だ(2008年3月31日)
 日本に「核武装」を勧めたい(2006年10月30日)
 フランス暴動 移民国家の「平等」の証し(2005年12月2日)
V 終わらない「対テロ」戦争
 日本は米国以外の同盟国を持つべきだ(2004年2月4日)
 帝国アメリカは崩壊過程にある(2003年2月8日)
 9・11に始まった文明の衝突(2001年11月21日)
 反対 欧州各国、一律じゃない(1998年5月2日)

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打ちのめされるようなすごい本

2021-03-07 18:27:58 | 読んだ本

米原万里 2009年 文春文庫版
丸谷才一が解説で、「一冊の本を相手どるのでなく、本の世界と取組んでゐる」などとその書評の資質をたたえているのを他のところでみたところから、読んでみようと思った書評集、1月ころだったかな中古見つけて買った。
「第一部 私の読書日記」は、2001年から2006年まで週刊文春に連載されたもの。ちなみに著者は2006年に亡くなった。
本書タイトルの元となったと思われる「打ちのめされるようなすごい小説」というのは2002年2月28日の回のタイトルで、その小説こそが丸谷才一の『笹まくら』である。
友人の小説家から「トマス・H・クックの『夜の記憶』を読め」と言われて読んだんだけど、もっとすごい日本の小説を読んだことあるはずだと考えるうちに思い出したのが『笹まくら』。
現在と過去を絶え間なく往復する手法だけぢゃなく、
>書き言葉の日本語は、これほど柔軟で多彩で的確な表現が可能だったのか。(p.94)
という具合に絶賛。
でも、本の話題だけぢゃなくて、世相の切り方のほうがおもしろかったりする。
たとえば、第一次小泉内閣時代の外務省のごたごたをみて、
>そもそもアメリカの属領にすぎない日本に外務省があるのは、あたかも独立国であるかのような錯覚を国民が抱き続けるためのアクセサリーのようなものだから、職員も仕事そのものに使命感ややりがいを見出しにくいこともあろう。(p.97)
とか。
日本でのワールドカップで日本・ロシア戦の通訳に行った横浜の競技場の環境について、
>なのに競技場は田畑と住宅街のど真ん中に蜃気楼みたいに建っていて、サポーターが喜びや落胆に高揚する心身を解き放つ広場や居酒屋がないのは、いかにもハード一辺倒な土建屋国家である。(p.113)
という感想を持ったりとか。
>(略)公立図書館がベストセラーの大量買いをする、つまり貸し本屋化していてこういう資料的価値のある名著を買い置いてくれないので(略)(p.103)
と日本の出版事情とか図書館のありかたを嘆いたりとか。
そんな元気いっぱいみたいだったひとだが、2003年11月のところで卵巣嚢腫を内視鏡で摘出したということを書いて、後半はガンと戦う話になってくるのが痛々しい。
外科手術、抗がん剤、放射線治療のいずれも避けて、ちがう方法で治すことを模索するんだが、いろんな本読んでも、商売の宣伝ぢゃないかとか、成功例しかとりあげてないのは疑わしいとか、厳しい視線を持ち続ける。
そんななかで断食療法の本にであうんだが、そこにガンぢゃなくて感染症のこと書いてあって、
>アメリカの医学者マレイは、飢饉の遊牧民に食糧供給を始めてまもなくマラリア、結核などが発生したことから栄養過多が感染症を誘発するという説を導き出す。第一次大戦中に発生したインフルエンザで最大の死亡率が認められたのは、十分に栄養の行き渡っている人々のグループだった。第二次大戦中、過密状態の収容所で低栄養状態におかれた人々がハシカやチフスに対して最低の罹患率を示した。(略)マレイは多くの事例から、栄養素は、体の維持よりも病原菌の分裂、増殖のほうに利用されると結論する。(p.255)
って箇所は、感染症対策が最大のテーマである現在において、私はちょっと興味をもった。
「第二部 書評 1995~2005」は、いろんなとこ(おもに読売新聞ということになるかな)に書いた、全書評集。
丸谷さんのいうとおり「褒め上手」なので、読んでておもしろい。
とりあげられているうちのいくつかは私もきっと読むことになるんぢゃないかと。


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2001+5

2021-03-06 18:11:49 | マンガ

星野之宣 2006年 双葉社・アクションコミックス
前回の続き。
実は『2001夜物語』3巻と、これもセットで、4冊ひとそろいで古本買った、しかも私の感覚ではとてもトクした価格であった、ホクホク。
副題に「星野之宣スペース・ファンタジア作品集」とあって、宇宙ものの短編集なんであるが。
著者があとがきで「出るはずのない本だった」と言っているのは、「2001夜物語」のあとをうけて「Star Field」って連載を始めたんだが、掲載してた「月刊スーパーアクション」の休刊もあって、未完の物語になっちゃったからだと。
ところが編集の熱意もあって、ほかの単行本未収録の短編も集めて、こうして一冊になったと。
双葉社ナイスジョブ! マンガ出版業界は、版を変えたりして再編成した焼き直し単行本を出すばっかりぢゃなく、こうやって単行本未収録作品に光をあてることをもっとやっていただきたい。
ということで、一編が4ページというミニシリーズである「スペース・ファンタジア」は数に入れないで、「2001夜」以後の5つの短編が入っている、それがタイトルの由来だそうだ。
「夜の大海の中で」は、2001夜の番外編で、第1巻に出てきた無人の宇宙探査船「KARC9000」が出てくる、泣かせますねえ。
KARC9000は、ハイパースペースを飛ぶ新しい航法前に作られたもので、地球の人類に関するデータ積み込んで、異星文明とのコンタクト求めてもう500年飛んでる、モデルは「2001年」の「HAL」だろうけど、名前はカーク船長由来なんでしょう。
「Star Field」シリーズは、西暦2271年の人たちが火星と木星の間の小惑星帯で1万2千年前の宇宙船みたいなのを見つけたとこから始まる話、そのうちのひとつは強力な攻撃機で、星を破壊できるパワーを持っている。
「怒りの器」は、1991年発表だけど近未来的話で、豊かな地球のなかでなぜかソ連だけが凶作つづきで困窮してて、ブチ切れた軍部が核ミサイル発射を仕掛けることになる、終盤に突如カラーページを使うという意外な演出がある。
「フォボス・ダイモス」はタイトルのとおり火星の衛星での話、研究チームが衛星上の基地で謎の細菌を吸い込んだために異常行動を起こすんだが、その細菌がどっからきたのかってとこに意外さがある、好きだな、こういうの。
「霧の惑星」は、ある星を調査にきた宇宙船2隻が不時着、乗組員たちは森と煉瓦でできた文明の跡をみつけるんだけど、星の大気を吸うとおかしくなってしまう話。
あらためて、コンテンツは以下のとおり。
2001夜物語番外編「夜の大海の中で」
STARSHIP ADVENTURE Star Field「アーサー・ワールド」
STARSHIP ADVENTURE Star Field「アーサー・ワールドII」
STARSHIP ADVENTURE Star Field「アーサー・ワールドIII」
STARSHIP ADVENTURE Star Field「さそり座の赤い星(1)」
「怒りの器」
スペース・ファンタジアPart1「黄金の惑星」
スペース・ファンタジアPart2「ドルメン」
スペース・ファンタジアPart3「極点への旅」
「フォボス・ダイモス」
「霧の惑星」

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