水曜日。この日も色々と。駅伝の壮行式が実施されました。かなり大々的に。マスコミも。注目度が違うのだと思います。本番を迎えるまでで様々な方が来校されます。市長のところに表敬訪問するとかもあるのでなかなか大変だと思います。とにかく選手がきちんと力を発揮してくれることを期待したいなと思います。
この日の練習はハードルと走練習。会議があったので少し遅れていくことになりました。練習に行ったときには体幹補強をやっていました。が、かなり雰囲気が暗い。前日に県外の合宿に参加した選手と大学に練習に行った選手の話を聞いていました。が、全く変わっていない。厳しいようですが昨日の今日でこの話だと本当に変わることは厳しいかもしれません。「やっている」のは確かです。しかし、それがどこまでのレベルなのか。自分たちで決めたことができるようになるかどうか。これはどの学校でやっても同じことなのかもしれません。skyで練習をしたら強くなる。そうではなく、本当は「やる本人がどのような意識でやるか」だと思います。
基礎ドリルをやってからハードルドリル、スプリントをやってからハードル走。これも検討の余地があるのかなと。道具を使った練習というのは「最大公約数」で実施されます。ある選手にとっては「ちょうどよい」というものであっても他の選手にとっては「広い」「狭い」という状況が生まれます。今回は5歩ハードルだったのである程度「汎用性」を考えて設定しています。が、力が上の選手のとっては一番広い距離であっても「狭い」と感じる部分があります。こうなると「練習の目的」が果たせません。別の形でやるのか。3歩ハードルへ切り替えるのか。
それとは別に「加速」の段階でゆっくり出てしまう選手もいます。これは間違いなく跳べない。しっかりと加速をしてその状況でハードルを越えていくので力強い踏切もできます。が、恐る恐る入ると「目的」が果たせなくなる。こうなると「効果的かどうか」という判断もしなければいけません。課題は山積しています。工夫はしたいと思います。
その後、走練習。120m×3を2セット。短長は+100mまで。私はフィニッシュ地点で折り返しの100mを出すために待っていました。何度もkd先生が話をされていました。「走るだけ」になっていないかという部分があったようです。加速段階の動きが全くできていない。「構え」を作ることを忘れる。スタートして2歩くらいで身体が起きる。これでは普段やっていることと走りがつながらないのではないかと。
前日に大学の練習に参加した選手から「力のある選手は目的意識がある」という話をしていました。やっている練習がどこにつながるのか。ドリルなどをやった後に走ってそれを確認する。とにかく動きと走りをつなげる「作業」をしている。ここに「差」があるのではないかと。県外の合宿に参加した選手も「理解度」に関して話をしていました。インターハイで優勝した選手は「練習内容の理解」をしていると。単純に「やるだけ」ではなく動きに繋げていく感覚を大切にしている。それを聞いていてもなかなか自分のこととしてとらえられない部分があるようです。
この部分を抜け出さないといけないと思っています。そこを引き上げるのも我々の役割だとは思っています。何度も書いていますが「お腹がすいていない」人の前に「おいしい料理」を出しても食べません。「食べたい」と思っていないからです。「何が何でも」と思ってない人の前に「練習」を提供しても改善はできません。これはどこの「チーム」でも同様の話です。ミーティングなどもしていますがそれが「行動」に移らなければあまり意味がない。
補強に関してもkd先生から指摘がありました。内転筋を鍛える補強。少し動かしますが「本当に効いているのか」という指摘。アップサーキットで内転筋強化のために「動かさない」で負荷をかけます。が、毎日の補強では「負荷」を増やすために支持脚ではない足を動かします。実際、かなりの刺激になります。が、その前段階で「身体のライン」が作れていないのでやっても意味がないのではないかと。かなりの時間をかけてやっています。腹筋も背筋も強くなっていない選手がいる。そこの原因は何か。補強種目が悪いのかもしれません。が、結局は「どれだけ強くしようとしているか」だと思っています。「できる」「できない」という基準がどこにあるか。補強はきちんとやれば効果は上がります。が、このきちんとやるというのが難しい。単純な補強、汎用性の高い補強にしようと考えています。それでも「強くなっていない」という指摘を受ける部分がある。どうするか。
最後のkd先生から全体に話がありました。この言葉をどのように受け取るか。毎回毎回同じことをしていたら先に進みません。「技術的な部分」の指導もかなりやっています。個別に対応する場面もあります。それでも最後は「何が何でも」と思ってくれるかどうか。伝わるかどうかによって大きく変わってきます。「覚悟」というのは実際どのようなものなのか。目に見える話ではなりません。それでも「変化」は間違いなく必要です。
終わってからある選手が「変わるときは大げさに変わる意識でないとだめですか」と聞いてきました。その選手は少し前に「前髪」を切っていました。その変化に気づいたのは1人だけだったと話していました。そのことを例に挙げて話しました。「前髪を少し切る」ことで自分では「変わった」と思うかもしれない。が、周りは気づかない。本人も少ししたら伸びてくるので「変化」を忘れてしまいます。それが「坊主」にしてきたらどうか。周りは驚くと思います。「え?どうした?」みたいな「変化」です。明らかにこれまでとは「違う」のが誰の目にも明らかです。
「変化」というのは意図的に「大きく変わる」必要があります。そうでないとすぐに元に戻るからです。どこかに行って「刺激」をもらった。戻ってきたときは「しっかりやる」と思っていても、時間の経過とともに「元に戻る」のです。よほどの覚悟をもって、強い意志をもって「変わり続ける」ことでしか本当の変化にはならない。誰の目から見ても「変化がある」というのが重要。この部分を感じ取ってほしい。
上手く書けませんが。やれることはやりたいと思います。