昨日ミーティングをした後に「具体的に話が出来たらいいよね」とshimaに話したら、わざわざ文章にして持ってきてくれました。手間はかなりかかりますが、こういう姿勢が必要だと思いますね。その紙を見て選手が何を伝えようとしているかを感じてもらいたいですね。自分がやってきた事に加えて、やり過ぎて失敗したことまで書いてくれていました。下級生はこの事からどうしていくべきかを考える必要があります。
とにかく必死になれるかがポイントだと思います。自分なりの一生懸命では足りません。口でどれだけ言っても、客観的に見ていたらその気迫が分かりますから「難しいな」というのは見えてきます。男子キャプテン、この1ヶ月で3回体調不良になりました。修学旅行にも行っていますから、まともに練習が出来ているかどうか疑問が残ります。
以前から「甘い」と言い続けてきました。なかなか伝わりませんでしたから、やはり変化するのは難しいと思います。一時期日誌にはその日にやった技術的な事だけを書いていました。この時に今のままでは絶対に目標には届かないと書いておいたのですが伝わっていませんでした。冷たいかもしれませんが、最終的に自分が分からなければ意味はありません。私がどうこうではありません。必要な話はし続けます。金曜日もミーティングの後に水曜日の練習について話をしました。練習が出来ていない事に加えて最後に足がつってしまい全く走れませんでした。このような状態で本当に目標に届くのかと話をしました。それなのに今度は新型インフルエンザになってしまいました。インフルエンザは仕方ない部分がありますが、1ヶ月の間に3回体調を崩していますから練習どころではありません。何度も繰り返し話してきても伝わらなければ意味がありません。
最後は必死になれるかどうかだと思います。2年生は今シーズンかなり活躍をしました。その流れがあるので上の大会を目指せるというのはあります。しかし、それは「過去」の事だと分からなければいけません。「今」の力がその選手の力なのです。過去の実績で戦っていけるほど甘くはありません。きちんと目的意識を持って練習を積んでいくから力が付くのです。2年生、もう少しこの辺りを考えていかなければ痛い目に合うことになりかねません。
前述のshimaはとにかく必死に取り組んでいました。時としてそれが間違った方向に進んでしまうことが多々ありましたが、それは本人や下級生にとって大きな財産になると思います。自分でやるという意識は必要ですが、勝手に判断をしてやり過ぎてしまうのは避けなければいけません。shimaは2年生の総体前にかなり体調を崩してから結局3年生の夏過ぎまで自分の思うように走ることができませんでした。「過ぎたるは及ばざるが如し」です。必死にやることがメインになってしまい、一生懸命に我慢してやっている事が素晴らしいことだという感覚になってしまいます。これが一番怖い…。
これから先、必死にインターハイで戦うことを目指して取り組んでいきます。しかし、そこに向けて取り組んでいる自分達が「特別なんだ」と思い始めると、昨年のように「頑張っています」という雰囲気になってしまう恐れがあります。誰のためにやっているか。寄せ集めのチームでも「走力」があれば勝てます。陸上競技とはそういう種目です。しかし、応援されないようなチームでは意味がありません。自分達のために必死に取り組む姿が自然と周りの「心」を動かす。
昨年は練習中に「自分の想いを口にする」という場面が多かったと思います。「苦しいけど自分は頑張ります」と口にしていました。私自身もその雰囲気に酔っていた感じがあります。全体が「こんな気持ちで走ります」と「想い」を口にすることで満足していたのです。勝てなくても必死になって頑張っていることをアピールすることで自分を正当化していたと思います。私も冷静さを失っている部分がありました。情けない話ですが…。
結局必死に努力をしているという自分に満足してしまうのです。気が付かないうちに目的がすり変わってしまう。それが一番怖いと感じています。そこまで出来る意識に持っていくのはかなり大変ですが、ある程度の意識レベルになったらそこをコントロールしていかなければいけないと感じています。
みんなで強くなろう、チームとしては必要ですがその雰囲気に酔ってしまうのが怖い。今の2年生にはその部分がまだ足りません。1年生の女子は「競技に学年は関係ない。自分がエースとなってチームを引っ張る」と日誌に書いていました。この気持ちの「差」が大きいと思います。「エースになりチームを引っ張る」と言っているにも関わらず、先頭に立って声を出したり、行動する場面が少ない2年生では最後の気迫が違います。口で言うのは簡単な事です。それを行動で示せるかどうかが重要。2年生が必死になってその部分を示さなければインターハイで戦うどころか中国の7位で終わりです。
長くなりましたが、blogはメッセージを伝える意味があると勝手に考えています。普段私が話している事を文字で見て何を思うのか。ここを見て分かったつもりになるだけでは意味がありません。必死になって何をやるのかという意味が分かって人は変わると思っています。しっかりと考えてもらいたいですね。
とにかく必死になれるかがポイントだと思います。自分なりの一生懸命では足りません。口でどれだけ言っても、客観的に見ていたらその気迫が分かりますから「難しいな」というのは見えてきます。男子キャプテン、この1ヶ月で3回体調不良になりました。修学旅行にも行っていますから、まともに練習が出来ているかどうか疑問が残ります。
以前から「甘い」と言い続けてきました。なかなか伝わりませんでしたから、やはり変化するのは難しいと思います。一時期日誌にはその日にやった技術的な事だけを書いていました。この時に今のままでは絶対に目標には届かないと書いておいたのですが伝わっていませんでした。冷たいかもしれませんが、最終的に自分が分からなければ意味はありません。私がどうこうではありません。必要な話はし続けます。金曜日もミーティングの後に水曜日の練習について話をしました。練習が出来ていない事に加えて最後に足がつってしまい全く走れませんでした。このような状態で本当に目標に届くのかと話をしました。それなのに今度は新型インフルエンザになってしまいました。インフルエンザは仕方ない部分がありますが、1ヶ月の間に3回体調を崩していますから練習どころではありません。何度も繰り返し話してきても伝わらなければ意味がありません。
最後は必死になれるかどうかだと思います。2年生は今シーズンかなり活躍をしました。その流れがあるので上の大会を目指せるというのはあります。しかし、それは「過去」の事だと分からなければいけません。「今」の力がその選手の力なのです。過去の実績で戦っていけるほど甘くはありません。きちんと目的意識を持って練習を積んでいくから力が付くのです。2年生、もう少しこの辺りを考えていかなければ痛い目に合うことになりかねません。
前述のshimaはとにかく必死に取り組んでいました。時としてそれが間違った方向に進んでしまうことが多々ありましたが、それは本人や下級生にとって大きな財産になると思います。自分でやるという意識は必要ですが、勝手に判断をしてやり過ぎてしまうのは避けなければいけません。shimaは2年生の総体前にかなり体調を崩してから結局3年生の夏過ぎまで自分の思うように走ることができませんでした。「過ぎたるは及ばざるが如し」です。必死にやることがメインになってしまい、一生懸命に我慢してやっている事が素晴らしいことだという感覚になってしまいます。これが一番怖い…。
これから先、必死にインターハイで戦うことを目指して取り組んでいきます。しかし、そこに向けて取り組んでいる自分達が「特別なんだ」と思い始めると、昨年のように「頑張っています」という雰囲気になってしまう恐れがあります。誰のためにやっているか。寄せ集めのチームでも「走力」があれば勝てます。陸上競技とはそういう種目です。しかし、応援されないようなチームでは意味がありません。自分達のために必死に取り組む姿が自然と周りの「心」を動かす。
昨年は練習中に「自分の想いを口にする」という場面が多かったと思います。「苦しいけど自分は頑張ります」と口にしていました。私自身もその雰囲気に酔っていた感じがあります。全体が「こんな気持ちで走ります」と「想い」を口にすることで満足していたのです。勝てなくても必死になって頑張っていることをアピールすることで自分を正当化していたと思います。私も冷静さを失っている部分がありました。情けない話ですが…。
結局必死に努力をしているという自分に満足してしまうのです。気が付かないうちに目的がすり変わってしまう。それが一番怖いと感じています。そこまで出来る意識に持っていくのはかなり大変ですが、ある程度の意識レベルになったらそこをコントロールしていかなければいけないと感じています。
みんなで強くなろう、チームとしては必要ですがその雰囲気に酔ってしまうのが怖い。今の2年生にはその部分がまだ足りません。1年生の女子は「競技に学年は関係ない。自分がエースとなってチームを引っ張る」と日誌に書いていました。この気持ちの「差」が大きいと思います。「エースになりチームを引っ張る」と言っているにも関わらず、先頭に立って声を出したり、行動する場面が少ない2年生では最後の気迫が違います。口で言うのは簡単な事です。それを行動で示せるかどうかが重要。2年生が必死になってその部分を示さなければインターハイで戦うどころか中国の7位で終わりです。
長くなりましたが、blogはメッセージを伝える意味があると勝手に考えています。普段私が話している事を文字で見て何を思うのか。ここを見て分かったつもりになるだけでは意味がありません。必死になって何をやるのかという意味が分かって人は変わると思っています。しっかりと考えてもらいたいですね。