かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

東慶寺その2

2007年06月21日 | Kamakura ( Japan )
東慶寺は、1285年に、元寇で有名な北条時宗の夫人により開創され、松ヶ丘御所と称され、寺格の高い尼寺として、その名を馳せた。
滅ぼされた豊臣家の遺児(千姫の養女)が入山したのもこの東慶寺。600年近く、女人救済の駆け込み寺(縁切り寺)として有名であったが、明治となり、縁切寺法は廃止となった。その後、釈宋演(しゃくそうえん)により再興された。
釈禅師は、明治時代の半ばに、スリランカに留学。34歳にして円覚寺管長になった後渡米し、鈴木大拙と、禅の世界的発展の基礎を築いたという超人である。

お寺の中に、松ヶ丘宝蔵があるが、釈禅師ゆかりの展示物も多い。本当に、こんな文字を当時読んでいたのだろうか。この宝蔵には、縁切状なども展示されており、その縁切状が、遠山の金さんにどう裁かれたかの記録なども残っている。まさに、三下り半だ。見事、三行半で書かれている。ただ、必ずしも、縁切状がそのまま受け入れられたのではないようだ(嘘でないかのチェックはある)。
ちょっと高いが(300円)、東慶寺の由来を知る上で興味深い展示が多くある。



これは、松ヶ丘宝蔵の前にある、日本国国家で歌われているさざれ石。特に東慶寺の由来とは関係ないようだが。



見所は、その奥に広がる墓地。釈禅師、鈴木大拙博士のお墓は勿論、西田幾太郎さん、和辻哲郎さんなど、著名な、哲学者や、作家や、東慶寺に由来の方々のお墓がたくさんある。写真は、前田青邨さんの筆塚。

東慶寺は、その歴史に(特に、ここに駆け込んだ方々に)思いを馳せながら散策するお寺だと思う。
近頃は、ここで、結婚式をあげるカップルもいるという。よっぽど自信のあるカップルだろう。それで、離縁したら、洒落にもならない。
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