「稼プロ!」事務の小林 隆です。
ワールド カップが始まりました。
ブログをご覧になっている方の中にも夜更かしをしてテレビ観戦をしている、
サッカー ファンがいるのではないでしょうか?オリンピックを始め、スポーツの世界大会が開催されると、いつも取り上げられるのが、日本人の観戦マナーのよさですね。
勝っても負けても、スタンドから退場する時には、周りのごみを片付けて帰る。
日本人のよいところなのだと思います。
先の震災でも、被災者が暴動をおこさず耐えしのぐ姿や、ゆずりあいの姿勢がが世界の共感を呼びました。
日本は、世界に誇れるすばらしい国民性を有しています。
私が時々たずねる東南アジアの国々も、親日国が多く、尋ねる先々で、日本人を歓迎する雰囲気を感じます。
しかし その一方で、日本はいつまでそうした地位を維持できるのか、疑問も感じています。
中国は、成長著しい経済を背景に資金力を背景に東南アジアを始め世界中の国々と親密な関係を築き、韓国は、サムスン、LGといった家電製品やKポップや韓流ドラマなどの娯楽で日時用生活に浸透をしてきています。
対する、日本はどうかというと、途上国の開発資金を援助する ODA(Official Development Assistance:政府開発援助)の予算は削減傾向にあり、資金援助での相対的な存在感は低下しているように感じます。庶民の暮らしの中では、家電製品やスマホなどはそのシェアを韓国製品や中国製品に奪われています。何より恐ろしいのは、以前は日本製品は、質が高いが値段も高いと言われていたのが、最近は、韓国製品や中国製品の品質向上により、日本製品との品質の差がなくなってきている点です。
また、日本のソフトコンテンツ特にドラマやテレビ番組などの娯楽は、版権が高く、途上国ではほとんど放映されないとう現実があります。
ビジネスの世界でも、英語でコミュニケーションがとれない日本の企業人は、本音がわかりにくいと言われます。加えて日本企業の意思決定の遅さは、海外 特に途上国のビジネスにでは敬遠されがちです。
そうした、現実を見るにつけ、日本はこれからどのように世界の中でそのプレゼンスを発揮してゆくのか、将来の日本の国のポジショニングはどのようになっているのか、心配になることがあります。
本来ならば、今こそ日本は、国家の将来ビジョンたる100年の計を図る時です。
政治家も学者もちょっとそのあたりの心得のあるかたは、その現実をご存知のはずですが、表にでてこないのが、日本の残念なところです。
ただ、こと経済活動に関しては、日本とか世界とか、言っているような時代ではなくなってきているのかもしれません。
個々の企業が、また個人が、世界の中でどのような価値を提供できるのか、考える範囲やマーケットの枠が広がっただけと考えるのが自然なのかもしれません。
私たちに今 課せられているのは、受け継いできた精神性や文化に誇りを持ち、大切に受け継ぐとともに、世界標準や現実を受ける勇気と備えが必要である、と感じる今日この頃です。
<後記>
国家の仕組みをどのようなものにするかは、国民の「幸せ」をどのように考えるかが、根本ですね。
国家の仕組みも経済の仕組みも福祉も、何を「幸せ」何を「公平」と考えるかによって、変わってきます。
なかなか、難しい問題ですが、そんなことも気になる年齢になってきました。