こんにちは。22期の常木です。マラソンPDCAもついに最終回、完結編となります。いよいよ、号砲が鳴りスタートです。3ヶ月に渡るプロジェクトの総仕上げ、成果を示すプレゼンテーションがいよいよ始まろうかという瞬間です。
一般的に「最初の30キロは移動で、残りの12キロがレース。」とよく言われます。ゲームプランは色々とありますが、自分のレベルでは他のランナーとの駆け引きは必要なく、常に自分の状態と向き合って、身体と対話して、ベストな手を打っていくというPDCAの繰り返しになります。普段の練習で10~15キロ走っているので、最初に疲労らしきものを感じるのは20キロ手前くらいです。そのため15キロ地点でゼリーなどの栄養補給を開始します。そこから5キロ刻みで何らかの栄養を注入して、ガス欠と呼ばれる事態を未然に回避することを心掛けます。給食地点にあるバナナなども計画に入れて摂取します。まだ、この辺りではペースを守って走れることが多く、身体との対話もあまり生まれません。とにかく気分よく、明るい気持ちで走ることを心掛けることが大切です。
私のような中途半端なランナーに本格的な疲労や不調が表れてくるのが25キロ過ぎです。ちなみに私の初マラソンである2011年の東京マラソンでは、25キロ地点の浅草橋で両足が同時に痙攣してしまいました。さすがにこの距離での痙攣はなくなりましたが、身体の重さを感じるようになり、キロ5分40秒といった目標の速度をキープするのに体力を消費することになります。
「移動」の30キロが終わり、レースはいよいよ終盤に差し掛かります。ただ、体感的にはここまでが半分、残りの12キロがもう半分というのが正直なところです。身体との会話が本格化するのもここから。気持ちはどんどん前に行きたいのですが、一瞬立ち止まって、アキレス腱や太ももを伸ばします。ポーチの中からエアサロンパスを取り出して吹き付けます。2RUN(攣らん)というミネラルタブレットを服用します。この近辺で起きる痙攣の予兆を捉えて、持てるものを次々と投入します。2013年の大阪マラソンでは、こういった準備が不十分で、32キロ地点でふくらはぎと脛の前側が同時に痙攣し、前を伸ばすとふくらはぎに激痛、アキレス腱を伸ばすと前に激痛が走る状態で、芝生の中央分離帯に倒れこんでしばらく動けませんでした。過去の反省を踏まえて、30キロ過ぎたら、先手、先手の防衛をしていきます。
そして、33~40キロの間は一番厳しい時間帯となります。気温も上がってきて、水分と塩分が失われるので、スポーツドリンクと水はしっかりと飲みながら走ります。だいたい、地方の名産を出す大きな給食地点が33キロあたりに設置してあり、ファンランナーの憩いのスポットになっていますが、10秒でも削り出して自己新記録を出すことを考えると、ゆっくり味わっている時間ははっきり言って勿体ない。でも、そう考えること自体、人生の楽しみ方を間違っているのではないかという考えも毎回頭をよぎります。「あと○キロで終わりだ」と42キロからの逆算を始めるのもこの辺りから。脚の重さはピークにさしかかり、ずっと振り続けてきた腕を支える肩の筋肉も限界です。表現するとしたら「最強最悪の肩凝り」に襲われます。次の1キロが非常に遠く感じられ、練習で走る1キロとは全く別物の距離として、身体全体にのしかかってくる状況です。
仕事の疲れもピークの時は確かにあります。ただ、この35~40キロを1キロずつ刻んでいく痛みや苦しみに比べたら、仕事の疲れなんて比べ物にならないくらい軽いです。そんなギリギリの時に力になってくれるのは、意外なことに沿道の応援なのです。地元の少年野球チームやチアの女の子たちと連続ハイタッチをするだけで力がみなぎるのは、本当に不思議です。空元気ですが、「イエーイ!」などと声も出して笑顔も作ることが、疲れを忘れさせてくれる特効薬になります。ただ、コロナでそれも叶わなくなったので、とても残念ですね。それとは逆に、辛くて歩きそうになる瞬間に周りから飛ぶお気楽な「頑張れ~!」ほど辛いものはありません。「おい、頑張ってるのは顔見りゃわかるだろ。もう35キロも頑張ってきて、これが精一杯のギリギリなんだよ。もう人の気も知らんで。」と心の中で変な八つ当たりが。。
40キロ地点。理性とか計算とか関係ない時間帯。唯一、とっくに限界を超えている身体との対話だけが脳の働きを支えている状態となります。少しでも前に進めたい脳が、どこまで脚に無理をさせられるのか、何をしたら本当に動けなくなってしまうのか、そのギリギリの線を感覚的に感じ取って脚を前に進めていくことだけとなります。ただ、自己記録を更新した2018年の大阪マラソンは、とにかく自分を最後まで叱咤激励していました。「行けるよ、絶対に!あれだけ練習したんだから。筋トレも辛かったな。お前は強いよ!」などと。まさに箱根駅伝で選手を激励する原晋監督のように。
そして遂に40キロを過ぎて、4時間程走ってきて、最後はもう感情の塊となって祝祭的なゴールエリアへ。長い旅のエンディングは両手を高く上げて、走り切った満足感、安堵感、爽快感、誇り、感謝といったすべてのポジティブな感情に包まれます。全ての辛さはその瞬間に吹き飛び、振り返ってコースに一礼。ちらっと涙が流れたりするのもこの一瞬です。
こうして、仕事のように着々と進めてきた一大プロジェクトは、一区切りとなります。最後の方は本当にPDCAどころではありません。仕事での精神論はあまり好きではありませんし、冷徹なまでの準備がパフォーマンスの90%を決めることは否定しません。ただ一つ言えることは、最後の最後は精神力、というか自分を信じ切れるかどうかです。それが、持てる力を限界まで引き出して、結果的に勝負のカギになります。42.195kmを完走する度に、身をもってそれを実感しています。そんな魅力的なフルマラソンの世界に、皆さんも是非!