こんにちは!稼プロ!23期生の前川昌隆です!
過去の記事でも書かれていますが、小伝馬町にはかつて吉田松陰が処刑された伝馬町牢屋敷がありました。
吉田松陰は、9歳から地元のエリート学校「明倫館」で師範になりました。
あの有名な「松下村塾」には、久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文、山県有朋など多くの人が学びに来たそうです。
1854年、24歳の吉田松陰は、弟子の金子重輔と日本に来ていたペリー率いる黒船に乗り込み、アメリカへの密航を頼み込みました。
それが国禁を犯す行為で捕まったら死刑になることも打ち明けたそうです。
アメリカに行く目的は、西洋の進んだ兵学などを学ぶためでした。
ペリーは、個人的には日本人をアメリカに連れて行けたら良いと考えていたそうです。
そこで、停泊期間があるからそれまでに国から許可を得るように吉田松陰たちに伝えました。
しかし、2人は、もう陸に戻ったら捕まってしまうので密航しかないと粘りました。
ペリーは、日米和親条約の締結に向けた交渉中であったため、日本との間で問題を起こしたくありませんでした。
そのため、吉田松陰たち2人をアメリカへ連れて行くことはしませんでした。
ペリーは後に「ペリー提督日本遠征記」に次のように書き残したそうです。
『この件は、日本の厳重な法律を破り、知識を得るために命を賭けた教養ある日本人2人の知識欲を示すもので、興味深いことであった。
日本人の志がこのようなものであるとすれば、この興味ある国の前途は何と実のあるものであるか、その前途は何と有望であることか。』
2人の密航未遂の罪は、考えられない程軽い処分で済みました。
吉田松陰終焉の地の近くで学ばせていただいていることに不思議な縁を感じます。
自由に好きなことを学べる環境に感謝していますし、ある意味で責任を感じております。