第五十回記念 吉例顔見世 「碁太平記白石噺」「身替座禅」「瞼の母」 (10月10日・御園座)
今年で50回を数えるという御園座の吉例顔見世公演。「顔見世」とは秋(本来は11月)に行われる歌舞伎興行で、「この1年この役者でやりますよ」という意味での”顔見世”なのだとか(現在は形骸化していると思われる)。今回は夜公演を選んでみた。仁左衛門の「身替座禅」と、現代語で演じられる新しい演目(昭和6年初演)が観てみたかったから。空席も目立つが、ひと月の長丁場なので平日の週中としたら、まあほどほどの入りといったところか。
まずは「碁太平記白石噺」。吉原の花魁(雀右衛門)を訪ねてくる生き別れた妹(孝太郎)と、父の敵を決意するお話。孝太郎はなかなかの田舎娘っぷり(不細工なところも)。要所でそっと助太刀をする惣六(梅玉)がかっこ良過ぎる役回り。近くに大向うの方が何名かいらっしゃったが、かける声の数も多くて締まりが無く、うーん…。これって掛け声のタイミングはほとんど決まっていると聞いたことがあるが、こんなに多かったっけ。ここぞっていう所で気持ち良く聞きたいものだが…。
今回は16時半始まりだったので、幕間にいつものように弁当や酒を持ち込むのは止めて、新栄の「川村屋」の上生菓子をいくつか買って持って来た。ペットボトルのお茶というのが不粋だが、抹茶を点てて水筒に入れる訳にもいかないし…(←水出しの方法もあるらしい)。
次は松羽目物の「身替座禅」。理屈抜きで笑える演目だが、奥方(鴈治郎)に嘘をついて色に走る殿様役を仁左衛門が演じる。これが楽しみだった。仁左衛門がかっこ良過ぎて鴈治郎とのギャップが最高。前回この演目を観た時は左團次だったが、うん、この鴈治郎演じる嫁でも絶対逃げたくなる(笑)。ハマり過ぎ。待女役の若い子のひとりがどうにも苦しそうな口跡。たぶん声変わりの年齢なのだろう。どの役者もこの時期は体も声も中途半端で役も与えられず辛いと聞く…。
自分の少し向こうの席に演目中ずっと喋り続ける年配の女性2人が居て、気が散ってしょうがない(でも注意出来るほど近くない)。係員に注意されてやっと3演目目で静かになった。他にも台詞の時に喋る人が居て…(これは隣だったので注意した)。みんな家でテレビを観ているようなつもりで観ているんだろうナ(怒)。静かなシーンでのタイミングででかいゲップをしたオヤジも居たし、何だか客の質が悪いのが残念。
最後は長谷川伸作の戯曲「瞼の母」。番場の忠太郎は獅童が演じる。彼の持つ雰囲気が、母を慕うやくざ者の役にぴったりとハマっている。キザな台詞も獅童にはよく似合っている。ただ、ほぼ現代語なので言葉がすっと頭に入ってくるのはいいが、それが逆にクサく聞こえてしまってせっかくの歌舞伎が歌謡ショーでも観ているような気分になってしまうのは否めない。型があるから仕方がないとはいえ、何だか演目全体のリズムも間延びしているように感じるし、実年齢よりも若く見えるという設定のはずのおはま(母)役の秀太郎は実際に高年齢だし、台詞回しも自分にはしっくりこない。あれだけ啖呵を切った母親が急に殊勝になって弱々しく息子を呼ぶのも”豹変”と感じられ、その感情の機微っていうのが今ひとつ伝わってこなくて…。この演目はちょっと苦手かも。
一、碁太平記白石噺(ごたいへいきしらいしばなし)
新吉原揚屋の場
- 傾城宮城野 雀右衛門
- 宮城野妹信夫 孝太郎
- 大黒屋惣六 梅玉
二、新古演劇十種の内 身替座禅(みがわりざぜん)
- 山蔭右京 仁左衛門
- 太郎冠者 錦之助
- 侍女千枝 吉太朗
- 同 小枝 千太郎
- 奥方玉の井 鴈治郎
三、瞼の母(まぶたのはは)
- 番場の忠太郎 獅童
- 素盲の金五郎 亀鶴
- 娘お登世 壱太郎
- 鳥羽田要助 吉之丞
- 金町の半次郎 國矢
- 板前善三郎 松之助
- 半次郎母おむら 吉弥
- 水熊のおはま 秀太郎