私は、常日頃から、100歳まで元気で自分の足で歩るき、その時がくるまで「ピンピン そして コロリ」と
死ぬ、が私の生きていく目標です!
が、先日のお話のように叔父の姿をみたり、人から色々と聞いたりすると…
今日は、そんな重たい題材のことが記事になっておりましたので、ご紹介します。
『祖師たちの最晩年を学ぶ』 まさき・あきら(慶応大、立正大非常勤講師)
上手な死に方がわからないから、残された時間を上手に生きるすべもわからない。混乱と不安に心身を
さいなまれる。なんとか解決の方法はないものか…。
いわゆる団塊の世代を中心に、こういう思いをいだく日本人が激増している。私が社会人向けに開催して
いる講座においでになる方々を見ていると、そう実感せざるおえない。
現在日本人の平均寿命は男性79.19歳、女性85.99歳。世界で最も長生きの国民である。
まことにご同慶の至りだが、困ったことも起きてくる。昨今、話題の介護や保険がまさにそうだ。
そして上手に死ぬことも、昔に比べれば難しくなっているらしい。
じつは平均寿命が50歳を超えたのはそう遠い過去ではない。昭和22年(1947年)の平均寿命は、
男性50.06歳、女性53.96歳にすぎない。逆に言うと、この60年ほどの間に、平均寿命は30年くらい
延びた。1世代を25年とみなせば、戦後の日本はわずか60年ほどで、1世代以上の寿命の延びを実現
したことになる。むろん平均寿命は乳幼児の死亡率に関係するので、この数値を鵜呑みにはできないが、
寿命が1世代以上も延びれば、死生観に変化が生じるのも無理はない。
考えてみれば、人生50年と言っていた時代は生きることも死ぬことも、ある意味で簡単だった。
無我夢中で生きてさえいれば、いつの間にか死が訪れてくれたからだ。今はそうはいかない。こう寿命が
延びてくると生きることも死ぬことも簡単には済まない。おまけに戦後の日本では、生ばかりが一方的に
謳歌され、死は可能な限り隠蔽され続けてきた。原因はいろいろ指摘できる。
戦前の日本が、「軍人勅論」の「死は鴻毛(こうもう)よりも軽し」を筆頭に、死を過剰に賛美して、多くの
人々に死を強要した反動もあろう。
家族形態の変化も大きい。戦前は世代の異なる人々が同居する大家族が普通だったので、高齢者も
多く、死に遭遇する機会は多々あった。子どもたちも、いやおうなく、死を目にしてきた。今は核家族が
中心で、もともと人数が少ないからそうはいかない。自分の家で家族に見守られながら死ぬことも稀に
なった。死はもっぱら病院の中に閉じ込められ、死を直視する体験はなかなか得られない。
さらに延命治療の発達や脳死の問題は、いつ死んだのかすら、よくわからない事態を招いている。
しかしここ数年来の日本社会を取り巻く激動を見ていると、死を正面から見据えるべき時がようやく
訪れたようだ。そもそも人間の死亡率は100%である。老若男女にかかわらず、本来なら誰しもが
常に死をみすえてしかるべきなのだ。
まして不惑の年、すなわち40歳を過ぎたなら、自分の死に方くらいは考えておくべきだろう。
次回まだまだ、続きます。
春の足音が少し きこえて来ました。。。 でも、油断は禁物!
明日は、ジョニーへ会いに行ってきます。 「ツーリスト」楽しみだなぁー。。。