今日で、震災から10日目。
少しずつ、被災地は、動き始めたようで… まだまだでしょうが、良かった…
この9日間、私の住んでいる神奈川県川崎市も毎日、身体に感じる余震があります。
まだまだ安心できません!
でも、とりあえず この三連休で、計画停電もなく、ほっとしています。
とても残念ですが、18日から春のお彼岸で(震災前は、お墓参りの予定をしていましたが、
ガソリンが足りないので)今は、止めました。
22日の銀サロの施術もキャンセルしました。
三連休後の計画停電の予定と電車の運転状況も定かでないのと、私の脚が果たして、長時間立つて
いられるか(ラッシュに持ちこたえられるか)、階段をいつもの何倍も上がって下りれるか)など、
いまいち足の状態がよくない(11日の地震のときに何度も階段を行ったり来たりしてから)ので。
24日の‘きらら体操教室'も皆さんと相談して、中止になりました。
すべて、マイナス要因ばかりですが、もう暫くは動けません。
原発も日本のために決死の覚悟で作業してくれている方々の安全を祈るばかりです!
『暑さ寒さも彼岸まで』あと一週間我慢すれば、取りあえず暖房はいらなくなるだろうし…
今日の新聞からご紹介します。
小学校3年生のときに被災した阪神大震災で、両親と死別した神戸市の西山由樹さん(25)は、
21歳になって夜間定時制高校に入学した。{亡くなった 父母への恨み 何処へやら 今では二人の
分まで生きる}。 校内集会で震災体験を初めて語った際に詠んだ短歌だ。
神戸新聞によると、西山さんは弟と親類宅を転々とし、祖父母に育てられた。
「何で僕らを残して死んだんや」と両親を憎しみ、人間不信に陥り中学時代は髪を染め、バイクを
乗り回したという。2007年に高校に入り直すと、朝から建築現場などで働き、夕方から勉強した。
教師の勧めで短歌を作り始め、閉ざしていた心が除々にほどけ始めた。(中略)
今回の東日本大震災でも、孤児になった子どもが数多くいる。(中略)そうした子供達の心をケアする
ために現地に派遣する専門家を募ると、全国から200人を超える応募があった。
{震災で 止まった時間を 今日からは 変えて見せるぞ 名に恥じぬよう}。
西山さんがこんな前向きな歌を詠める心境になるまで、10年以上の歳月が必要だった。
孤児たちの辛い日々は始まったばかりだ。社会全体で見守りたい。
『頑張ろう! 心を一つに!』 『負けるな! 日本!』