岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

『とがなくてしすー草津重監房の記録』 沢田五郎著

2008-12-06 21:20:43 | ハンセン病
ご存知のように、題名の「とがなくてしす」はいろは唄の七字七行の最下段を横に読んだもので
「咎なくて死す」という言葉が暗号になっているといわれる。

草津重監房は、当時ハンセン病の患者の方から恐れられた無法の「刑務所」だった。

その記録を、栗生楽泉園(草津重監房がある)に12歳で収容された沢田五郎さんが書かれている。
沢田さんは、収容そうそう、特別病室(重監房をそのように呼んだ)から連れ出されて
入浴、整髪をされている患者を見かけた。
このときの記憶から、
「人間が人間をあれほどまでに侮ってはいけないという思い」が消えなかった。
そして1996年、癩予防法が廃止されるにあたり、記憶や記録、資料を集めて
『高原』(栗生楽泉園機関誌)に掲載、後に単行本になったものである。

この本はとても重い。想像を絶する重監房での処遇である。

5重の鍵によって隔離された独房は
「明かり取りの窓は高くて小さいゆえ、幾重にも高い塀で閉ざされた塀の中は暗く、
曇った日には昼夜の区別さえつかなかったという。
そして、誰かが掃除をしてくれるわけでもなく、箒も雑巾もないから、湿気るにまかせ、
冷えるにまかせる他なかった。冬は吐く息が氷柱となって布団の襟に下がり、房内には
霜がびっしり降りた」。

この地は、厳冬期にはマイナス20度にもなるという。火も陽もない独房の厳しさは
明治時代の北海道の監獄並みだったのだろう。

収容者は、この病室の独房に放置され、月に1度、外に出され入浴、整髪されて、
また、閉じ込められたのである。

沢田五郎さんはこの生き地獄に入れられた人々を可能な限り調べている。
しかし不明な点が多い。それは、この特別病室に収容する際に、文章ひとつ必要と
しないためである。
通常、刑務所に収容される時は裁判があって後のことで、当然、様々な記録が残る。
それが特別病室の収容には、裁判もないし書類もないのである。
園長のさじ加減ひとつなのだ。

このような専制君主的権限を持った園長に支配されている入所者にとって、
特別病室の存在は、
「あの特別病室は、患者たちにむかって真っ黒い魔の口を開けている存在であった。
その口へ吸い寄せられていく人間は、さながら屠所へ引かれる羊であったろうと思う」

この表現に似た映像を観たことがある。
「シンドラーのリスト」の収容所のシーンである。

私たちは、日本国内にこのような施設があったことを知っておく必要がある。



最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
さじ加減ひとつ (bonn1979)
2008-12-07 06:45:42
現代にも
これほどまでではないにせよ
類似の
「さじ加減ひとつ」がないか
静かに反省を呼びかけておられるように思いました。
その一歩手前で筆をおくのが「岩清水流」ですね。

草津のことは群馬に勤務していた関係で聞いたことがある。
返信する
はじめまして。 (ゆめ)
2008-12-07 14:02:49
今現在でも、
似たようなことが繰り返されかけていることを
ご存知ですか?

交通事故などで誰にでも起こりうる
脳脊髄液減少症ってご存知ですか?
返信する
「さじ加減」 (岩清水)
2008-12-07 22:24:39
bonn1979様
コメントありがとうございます。
権力を持つものが、思いつき程度でやったことが
人の命を左右することになる最近の例では、
ブッシュのイラク侵入ですね。
ブッシュは今頃反省しているようですが、
数万とも数十万人ともいわれる死者を出して、
一言の反省で終わりになる。
このようなことでは死者は浮かばれないですね。
返信する
脊髄液減少症 (岩清水)
2008-12-07 22:28:24
ゆめさん。
はじめまして。
コメントありがとうございます。
貴ブログを拝見しました。
ブックマークしました。
学ばせていただきます。
ありがとうございました。
返信する