岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

「南三陸町防災対策庁舎」 東北の旅41  南三陸町3

2013-06-01 07:13:10 | 東北 2013年4月
公立志津川病院から川沿いに進むと、あの南三陸町防災対策庁舎があります。
更地の中にポツンと赤い骨組が残っていました。

あの大津波を知った今では、この3階建ての防災対策庁舎が有効であるとはとても思えない。
私たちは歴史的な知識不足を猛省しなくてはならない。
私たちの無知は人々の命を奪う。







『再び、立ち上がる!』から転載します。

「大津波警報が発令されました。高台に避難してください」。防災無線の呼ぶ掛けが、多くの人の命を救った。だが、声の主の行方は震災から1か月たった今も知れない。
 3月11日午後2時46分宮城県南三陸町の防災対策庁舎2階にある危機管理課。町職員遠藤未希さん(24)は放送室に駆け込み、防災無線のマイクを握った。
「6メートルの津波が予想されます」「異常な潮の引き方です」「逃げてください」。防災無線が30分の続いたころ、津波は庁舎に迫りつつあった。「もう駄目だ。避難しよう」。上司の指示で遠藤さんたちは、一斉に席を離れた。
 同僚は、遠藤さんが放送室から飛び出す姿を見ている。屋上に逃げたはずだった。が、津波の後、屋上で生存を確認された10人の中に遠藤さんはいなかった。
 南三陸町の住民約1万7700人のうち、半数近くが避難して命拾いをした。遠藤さんは多くの同僚とともに果たすべき職務を全うした。
 遠藤さんは1986年、南三陸町の公立志津川病院で産声を上げた。待望の第一子に父清喜さんと母美恵子さんは「未来に希望を持って生きてほしい」との願いを込めて「未希」と命名した。


追記:遠藤さん遺体は4月23日、志津川湾で見つかった。左足首に夫から贈られたオレンジ色のミサンガが巻かれていた。

黙祷。

「未来に希望を持って生きてほしい」との願いを込めて。





再び、立ち上がる! ―河北新報社、東日本大震災の記録
河北新報社編集局
筑摩書房



平林克己さんの写真集から
防災対策庁舎が「がれき」に覆われている時の写真です。
写真集に掲載されいます。

陽 ―HARU―
クリエーター情報なし
河出書房



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