岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

【孤児教育】ここに根本あり   石井十次 その25

2005-03-16 23:43:29 | 石井十次
孤児に何が必要か。
1、入院(孤児院に)させて、衣食住をあたえる。
2、教育することで社会の中で自活する精神と技術を身に
つけさせる

このことの大切さを、十次は十二分に理解していた。
ただ当初から考えが定まっていたわけではない。試行錯誤の
連続であった。

21世紀の今、児童虐待が問題や、児童教育の重要性、また
働くことの意味が課題になっているが、100年前に十次が
悩んでいたことと根本的には変わりはない。ということは
十次の問題はいまだ解決していないことだ。これは現在の
社会制度が必然的に内包している問題点ということだから
だろうか。

1890年(明治23)頃の岡山孤児院での生活がどのようなもの
だったのか。この年には、独自の小学校を院内につくって
いる。公立の小学校教育に疑問を感じていたのだろう。
十次の教育の特徴は、労働を取り入れた実業教育といえるもの
だった。この考えはどこから来たのだろうか※

院内での児童の1日をみてみよう。
午前6時起床、洗面後、祈祷。掃除と朝食準備、朝食。
午前8時~11時勉強。昼食。
午後 職業教育。
午後5時30分 夕食
午後6時 集会 天父に感謝の祈り。
その後、幼児は就寝。年長者は8~9時まで勉強後、就寝。

確かに独特である。公立の小学校教育には職業教育はない。
ただし小学校教育といっても始まったばかりで、明治維新
直後、多くは寺子屋で行っていた。教科書等の整備はあとから
ついてきた。
院の教育の仕方では、一般的な教育時間は不足することに
なるので、夜間での教育を追加しているのだろう。

ただ、この時代に小学校教育を受ける自体、限られた子ども
だけである。院に入った子どもたちは、ここで初めて教育を
受けることになったはずである。教育を受けることができる
こと自体、大変なことだっただろう。

※日誌で1892年5月28日には、
十次の救貧策1、市中殖民2、田舎殖民3、海外殖民
第1に、孤児院を設立してこれを先導者となす
第2に、孤児の成長をもって工業を起こしこれに商業を
附帯し、商工業をもって武器とし内は内国より外は大明に
及ぼすべきこと。と書いてある。
この日誌は、英国のブース(救世軍創始者)の訳読の
聞いて十次なりの考えを書きとめたとある。

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