孤児に何が必要か。
1、入院(孤児院に)させて、衣食住をあたえる。
2、教育することで社会の中で自活する精神と技術を身に
つけさせる
このことの大切さを、十次は十二分に理解していた。
ただ当初から考えが定まっていたわけではない。試行錯誤の
連続であった。
21世紀の今、児童虐待が問題や、児童教育の重要性、また
働くことの意味が課題になっているが、100年前に十次が
悩んでいたことと根本的には変わりはない。ということは
十次の問題はいまだ解決していないことだ。これは現在の
社会制度が必然的に内包している問題点ということだから
だろうか。
1890年(明治23)頃の岡山孤児院での生活がどのようなもの
だったのか。この年には、独自の小学校を院内につくって
いる。公立の小学校教育に疑問を感じていたのだろう。
十次の教育の特徴は、労働を取り入れた実業教育といえるもの
だった。この考えはどこから来たのだろうか※
院内での児童の1日をみてみよう。
午前6時起床、洗面後、祈祷。掃除と朝食準備、朝食。
午前8時~11時勉強。昼食。
午後 職業教育。
午後5時30分 夕食
午後6時 集会 天父に感謝の祈り。
その後、幼児は就寝。年長者は8~9時まで勉強後、就寝。
確かに独特である。公立の小学校教育には職業教育はない。
ただし小学校教育といっても始まったばかりで、明治維新
直後、多くは寺子屋で行っていた。教科書等の整備はあとから
ついてきた。
院の教育の仕方では、一般的な教育時間は不足することに
なるので、夜間での教育を追加しているのだろう。
ただ、この時代に小学校教育を受ける自体、限られた子ども
だけである。院に入った子どもたちは、ここで初めて教育を
受けることになったはずである。教育を受けることができる
こと自体、大変なことだっただろう。
※日誌で1892年5月28日には、
十次の救貧策1、市中殖民2、田舎殖民3、海外殖民
第1に、孤児院を設立してこれを先導者となす
第2に、孤児の成長をもって工業を起こしこれに商業を
附帯し、商工業をもって武器とし内は内国より外は大明に
及ぼすべきこと。と書いてある。
この日誌は、英国のブース(救世軍創始者)の訳読の
聞いて十次なりの考えを書きとめたとある。
1、入院(孤児院に)させて、衣食住をあたえる。
2、教育することで社会の中で自活する精神と技術を身に
つけさせる
このことの大切さを、十次は十二分に理解していた。
ただ当初から考えが定まっていたわけではない。試行錯誤の
連続であった。
21世紀の今、児童虐待が問題や、児童教育の重要性、また
働くことの意味が課題になっているが、100年前に十次が
悩んでいたことと根本的には変わりはない。ということは
十次の問題はいまだ解決していないことだ。これは現在の
社会制度が必然的に内包している問題点ということだから
だろうか。
1890年(明治23)頃の岡山孤児院での生活がどのようなもの
だったのか。この年には、独自の小学校を院内につくって
いる。公立の小学校教育に疑問を感じていたのだろう。
十次の教育の特徴は、労働を取り入れた実業教育といえるもの
だった。この考えはどこから来たのだろうか※
院内での児童の1日をみてみよう。
午前6時起床、洗面後、祈祷。掃除と朝食準備、朝食。
午前8時~11時勉強。昼食。
午後 職業教育。
午後5時30分 夕食
午後6時 集会 天父に感謝の祈り。
その後、幼児は就寝。年長者は8~9時まで勉強後、就寝。
確かに独特である。公立の小学校教育には職業教育はない。
ただし小学校教育といっても始まったばかりで、明治維新
直後、多くは寺子屋で行っていた。教科書等の整備はあとから
ついてきた。
院の教育の仕方では、一般的な教育時間は不足することに
なるので、夜間での教育を追加しているのだろう。
ただ、この時代に小学校教育を受ける自体、限られた子ども
だけである。院に入った子どもたちは、ここで初めて教育を
受けることになったはずである。教育を受けることができる
こと自体、大変なことだっただろう。
※日誌で1892年5月28日には、
十次の救貧策1、市中殖民2、田舎殖民3、海外殖民
第1に、孤児院を設立してこれを先導者となす
第2に、孤児の成長をもって工業を起こしこれに商業を
附帯し、商工業をもって武器とし内は内国より外は大明に
及ぼすべきこと。と書いてある。
この日誌は、英国のブース(救世軍創始者)の訳読の
聞いて十次なりの考えを書きとめたとある。