玉島・円通寺に参拝しました。
この春、岡山・京山公民館の講座「良寛さんに学ぶ会」を修了しました。
念願の新潟・出雲崎訪問を前に、地元玉島円通寺に「挨拶」に出かけました。
岡山では小学校の遠足に円通寺に行っていました(今はどうか分かりません)。
ですから、円通寺と良寛さんについては基本的に学んでいます。
ただ、良寛さんはどこからどのような理由で円通寺に来たのか、詳しくは知りませんでした。
良寛さんは、円通寺の国仙和尚が越後を訪れた際に得度をうけ、修行のため玉島に同行しました。
22歳です。それから34歳まで本格的な禅の修行を行いました。
良寛さんの生き方の骨格はこの円通寺での修行で培われたのでした。
玉島の中心街です。江戸時代には北前船の港として栄えました。今もその名残があります。
円通寺は小高い丘の上にあります。麓から歩いて20分ほどです。車道とは別です。
江戸から明治、昭和頃の建物が残っています。
参道入口です。といっても禅寺ですから華やかのものではありません。
簡単な案内です。
墓地の中を通って境内に入ります。
この辺りで海抜60mです。
晩年の有名な句です。「うらを見せ おもてを見せて ちるもみじ」
玉島の街です。良寛さんの青春はこの地にありました。
お寺のいたるところに石碑があります。いまも岡山の人々に愛されています。
本堂境内です。茅葺の見事な本堂です。
若き良寛さんの像と本堂です。托鉢の姿です。麓の街をこの姿で歩いていたのでしょう。
街の人々が清掃し座禅をして守ってきたお寺です。
良寛堂です。修行僧が寝起きして座禅を組んだお堂です。後世に良寛堂と名付けられました。
花の寺でもあります。
本堂の中もお願いすれば入ることができます。中庭にも驚かされます。
白壁の奥が中庭です。
さらに登ってきました。
お寺の裏側から望みます。
印可のカツです。国仙和尚が良寛に与えた書です。「喝」とは字が違います。人べんです。
円通寺公園まで上りました。
子どもたちと手毬をついて遊ぶ良寛さんの像です。新潟に帰ってからの姿です。
玉島の街を望みます。いまや工業地帯です。
ふたたび本堂まで戻ってきました。
良寛さんに別れを告げます。
石庭です。
一礼し辞します。
ありがとうございました。
ウクライナに続き中東での戦争です。
カザロスのように、ピースピースと鳴く鳥になっています。
自然災害も多く大変な年になってしまいました。
お読みいただきありがとうございました。