岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

日和(ひより)幼稚園(宮城県石巻市)。園側の過失と地裁判決。

2013-09-18 04:41:28 | 東日本大震災
※2013年4月、海側から日和山を望む。幼稚園は丘の上にある。低地に降りた送迎バスが被災した。


想定外の大地震であれ大津波であれ、保育園側が適切な対応をとることが求められてる。
被災された園児の皆さん安らかに。
合掌

日和山については、岩清水日記にも書いています。


読売新聞より

 行く必要もない海側にわざわざ連れ出され、幼い命は奪われたのではないか――。

 あの日から2年半、死亡した園児4人の両親のそんな疑念に、仙台地裁は17日、全面勝訴の判決で応えた。
東日本大震災の直後、高台の幼稚園から津波が迫る低地へ向かった送迎バス。
斉木教朗(のりお)裁判長は「情報収集を怠った結果の被災」と認定した。
園の判断に疑問を抱き続け、バスの走行ルートを自力で調べた遺族たち。
我が子の遺影を手に「これが心の区切りになれば」と語った。

 判決言い渡し後、原告の一人で、長女の愛梨ちゃん(当時6歳)を亡くした佐藤美香さん(38)は法廷を出た。廊下で「勝った」と言ったとたん、ハンカチで顔を覆い、泣き崩れた。

 判決によると、日和(ひより)幼稚園(宮城県石巻市)には元々、海側へ向かう第2便と、内陸方面の第3便の送迎ルートがあった。
しかし事故当時、両便の園児は同じバスに乗り、海側に住む7人が降ろされた後、残った第3便の園児5人が死亡した。
震災前から現場の判断で、2便と3便の一本化が始まっていた。しかし、保護者に対する説明はなかった。

 これとは別に、園児18人を乗せて海側に向かった送迎バスは、運転手がラジオで津波警報が出ていることを聞き、園へ引き返して無事だった。「園の対応の悪さが引き起こした人災では」。遺族たちは園側への不信感を募らせていった。

 園は震災直後から4度、説明会を開いた。佐藤さんは「説明のたびに食い違う所があった」と話す。例えば、バスが一時的に避難していた海側の門脇小学校から、なぜ歩いて避難させなかったか――。園側は、バスに乗せたまま園に戻そうとして事故が起きていた。

 園側は説明会でいったん、「園から小学校へ通じる階段には、墓などの倒壊物があり、危険で通行できなかった」と話したが、後に「徒歩で戻るよりバスで戻った方が安全で速いから」と答えた。門脇小の児童たちは、階段を歩いて日和山に避難し、無事だった。

 「自分たちで調べなければ、真実は分からない」。遺族は、現場周辺で聞き込みを進め、送迎バスが通ったルートを自力で特定、訴訟に臨んだ。

 法廷で、バスを出発させた理由について「みぞれが降る中、不安におびえている園児を一刻も早く親元に帰したかった」などと語った元園長。判決は「誤った判断を正当化する理由にならない」と一蹴した。


それでは、東電幹部の不起訴は何だったのか。
全く同じ過失ではないのだろうか。



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