財団法人 藤楓協会発行 1993年
大谷藤郎氏は、日本ハンセン病史において大きな役割を担った方です。
この書物は「高松宮記念ハンセン病資料館」の開館にともない、NHKが取材し、
放映した内容を文章にしたものです。大谷氏は同館館長です。
書物の題名にあるように、著者の恩師である小笠原登氏に捧げた本だと思います。
小笠原医師は、光田健輔長島愛生園園長(絶対隔離を主張しその医学的思想的実践者)に対立し、
その発言を昭和16年に「日本らい学会総会」において封じられた方です。
小笠原医師は、「ハンセン病は治るんだ」「島に隔離する必要はない」「伝染病として感染しにくい病気だ」と
主張されています。
大谷氏は俗な言葉でいえば、恩師の「仇」を50年かけて討った人です。
仇とは「らい予防法」のことで、彼はこの法律を葬りました。
また、ハンセン病救済に立ちあがった外国人の方々の功績を高く評価し、
なんとかして、彼らの功績を記録に残したいと書かれています。
私もこのことは非常に大切だと考えています。私たちが生きる希望を与えられるのは、
このような事績を見聞するときです。
私事になりますが、私が日々自転車で家庭訪問している地区は、日本で初めて
セツルメント運動を行ったといわれるアリス・ぺティ・アダムス女史が活動した地区です。
彼女に叱責されるような活動だけはしないように心がけています。
当ブログのぺティ・アダムス女史の記事:
http://blog.goo.ne.jp/kokakuyuzo/e/226c0e54fe801789f0083e33bf8fbc9a
大谷藤郎氏の記事
http://www.tokyo-jinken.or.jp/jyoho/jyoho11_tokushu1.htm
資料館は2007年4月に改修されたという、その内容をブログに批判的に書かれている女子アナがいらっしゃる。
とてもよく勉強をされていて感心しました。
http://ameblo.jp/yabumoto/entry-10048721209.html
大谷藤郎氏は、日本ハンセン病史において大きな役割を担った方です。
この書物は「高松宮記念ハンセン病資料館」の開館にともない、NHKが取材し、
放映した内容を文章にしたものです。大谷氏は同館館長です。
書物の題名にあるように、著者の恩師である小笠原登氏に捧げた本だと思います。
小笠原医師は、光田健輔長島愛生園園長(絶対隔離を主張しその医学的思想的実践者)に対立し、
その発言を昭和16年に「日本らい学会総会」において封じられた方です。
小笠原医師は、「ハンセン病は治るんだ」「島に隔離する必要はない」「伝染病として感染しにくい病気だ」と
主張されています。
大谷氏は俗な言葉でいえば、恩師の「仇」を50年かけて討った人です。
仇とは「らい予防法」のことで、彼はこの法律を葬りました。
また、ハンセン病救済に立ちあがった外国人の方々の功績を高く評価し、
なんとかして、彼らの功績を記録に残したいと書かれています。
私もこのことは非常に大切だと考えています。私たちが生きる希望を与えられるのは、
このような事績を見聞するときです。
私事になりますが、私が日々自転車で家庭訪問している地区は、日本で初めて
セツルメント運動を行ったといわれるアリス・ぺティ・アダムス女史が活動した地区です。
彼女に叱責されるような活動だけはしないように心がけています。
当ブログのぺティ・アダムス女史の記事:
http://blog.goo.ne.jp/kokakuyuzo/e/226c0e54fe801789f0083e33bf8fbc9a
大谷藤郎氏の記事
http://www.tokyo-jinken.or.jp/jyoho/jyoho11_tokushu1.htm
資料館は2007年4月に改修されたという、その内容をブログに批判的に書かれている女子アナがいらっしゃる。
とてもよく勉強をされていて感心しました。
http://ameblo.jp/yabumoto/entry-10048721209.html