『足跡は消えても ハンセン病史上のキリスト者たち』森幹朗著を
読んでいると、
社会福祉史の中で欠落していることに出会って驚くことがある。
例えば、私たちは「社会事業」という言葉は大正以降の表現だと思っている。
その前、明治期は、慈善事業を使うのではないだろうか。
それは1912年の「仏教徒社会事業研究会」の結成を期としている。
しかし、山室軍平は、1895年日本救世軍創設の年に「社会事業」という言葉を
使っているという。また、「社会事業部」も設置している。p116
もちろん、私も初めて聞いた話だ。
となると、彼が翻訳し造った言葉となるのだろうか。
とても興味深い。
また、山室とハンセン病のかかわりも、書かれている。これも全く知らない。
特に深いかかわりだったともいえないという判断か、ハンセン病史では触れられていない。
この本には、60数名の執筆協力者が全国の教会や療養所にいる。
現場からの資料や発言をもとに編集されているだけに、史実と相違する「定説」を
明らかにしている。
通常、複数の資料から年月を特定していくのだが、社会福祉史の中には、ひとつの
資料から年月を特定している事柄があるのではないだろうか。
森先生のように膨大な資料を集めて比較検討する作業を行うと、「定説」が「通説」
になってしまうようだ。
もちろん、森先生の熱意は「足跡の消えた献身的な人々」を発掘することで、歴史の検証ではないのだが。
学ぶべきことが多い。
写真は、岩湧山の薄です。