先日、岡山にある「シネマクレール」で映画『かづゑ的』を観ました。熊谷博子監督、斎藤とも子さん(朗読、ナレーション)と沢知恵さんの
お三方からお話がありました。
そして、会場で、『長い道』宮﨑かづゑ著と映画のパンフを購入しました。
映画はこころに深く迫ってくるものでした。
また『長い道』宮﨑かづゑ著は、購入後、毎日愛しみながらページを巡ってきました。
宮﨑かづゑさんは岡山県の山間の村に1928年生まれました。幼少期にハンセン病(※かづゑさんはライといいます)が発症します。
1938年10歳でひとり長島愛生園に入所します。愛生園は1930年開園ですから間がない時期の入所です。
わずか10年の故郷(ふるさと)での暮らしですが、まさにかづゑさんにはまさにmy sweet homeです。
故郷の父母、祖父母、姉妹などの家族との貧しいながら暖かい日々を想いながらの収容所での生活です。
母親は定期的に長島に訪れます。親子の愛情の深さが心を打ちます。
かづゑさんはハンセン病の病のため片足や指の切断、視力の低下に襲われながらも自分でできるすべを行っていきます。
読書が誰よりも好きで、愛生園の図書館に通い、生きるよすがとしていました。
当時は図書館の本には図書カードがついており、後に夫となる孝行さんが図書カードに記されたかづゑさんの名に
なんと本の好きな娘さんがいるもんだと気がつき交際が始まったそうです。
なんといっても孝行さんの性格が素晴らしいのです。
かづゑさんの著『長い道』を読んでいくとそのことがよくわかります。
映画はかづゑさんの近年の8年間の記録です。
その間に郷里の墓参りにも行きます。
母親のお墓を抱いていつまでも帰ろうとしないかづゑさん。
そして孝行さんとの別れ。
隠すものは何もない、すべてを撮ってくれという覚悟がヒシヒシと感じられました。
沢知恵さんのことばも考えさせられます
生後数カ月で大島青松園に父親と一緒に訪問してから今までの長い関係性の中で、自らのこれからを見据えています。
それは、全国のハンセン病回復者が80代、90代となり、訃報が届くことが多くなり、
このままではハンセン病が忘れられてしまう、差別の歴史が埋もれてしまうと強く感じ、
今できること、今にしかできないことをしようと発信されているのです。
かづゑさんの周りの人々は見事だと思います。
お読みいただきありがとうございました。
ガザを救え!