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8月5日に放映されたETV特集を録画して観ました。
戦後70年経ってから語られ始めた女性たちの歴史です。
国策で進められた満蒙開拓団。百万人の移住計画がありました。
日本国内で貧困にあえぐ村々から大陸を目指しました。村ごと移住します。
このドキュメンタリーは岐阜県黒川村の人々の話です。
満州・陶頼昭への集団移住は、比較的優遇されたものだったそうです。
現地の人々の土地を巻き上げたり、格安の値段で買い取ったりしています。
未開の地を開拓したわけではありません。
占領者が、本国民を移住させることは昔からの占領政策です。日本もそのようなことをしました。
ただ、軍事的に敗退すれば現地の取り残された人は悲惨なことになります。
特に満州は、旧日本軍は解体し中国軍の失地回復やソ連の侵入、そして奪われた土地を取り戻したい人々の攻撃にさらされ、
集団自決を選んだ村は48に上ったそうです。
黒川村の人々は、生きて日本に帰ろうと模索します。
村をガードすることをソ連軍に依頼、その代償に娘たちに「接待」を頼みます。
村人のために、慰安婦役を受けた女性は約15名。引揚時には15名のうちの5名は亡くなっていたそうです。
故郷に帰った村人の中で彼女たちの「貢献」は表立った語られることはありませんでした。
娘たちの多くは村を後にします。狭い村にいることでは未来が開けるとは思えませんから。
戦後70年経ってから当時のことを語り始めた女性が現れました。
昨年亡くなった安江善子さんです。
善子さんは子どもが生めない体になっており、実の妹さんの子(泉さん)を養子にもらいます。
妹さんは当時17歳でかろうじて接待役を免れました。善子さんはそのために尽力しました。
妹さんから姉への恩返しが実子の養子縁組でした。
番組では、92歳の佐藤ハルエさんと匿名の女性が登場します。
佐藤さんは村を離れ、ヒルしか住まいといわれた未開の高原へ移住します。
知り合った男性にすべてを話し結婚します。4人の子を授かりました。
その高原が岐阜県ひるがの高原です。
今はスキー場で有名ですが、標高1000mの高原を開墾するのがどれだけ大変だったのか当時がしのばれます。
このような帰国者(引揚者)による開墾は日本のそこここで見られます。
元の村には帰国者を受け入れる余裕はありませんでした。
私の近親者には帰国者が多く、帰国後も大変だったことを聞いています。
「戦後70年経って語り始めた人々」は被害者、加害者を問わず登場しています。
被害者は弱い立場の人々が多く、「戦争は弱者を襲う」ことを遺言としたいという思いです。
加害者のほとんどは男性です。寿命が短い男性のほとんどは加害状況を語らずに亡くなっていると思います。
真実は語られず闇の彼方です。
戦争体験を語る人に心の安らぎを。
そして再び戦争を起こさないように、国を監視していかなくてはならないと思います。