岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

『暁の宇品-陸軍船舶司令官たちのヒロシマ』堀川惠子著。後半部分を読み通し読了です。

2022-06-28 22:55:36 | 戦争を語り継ぐ

堀川惠子さんの力量には本当に驚かされます。

資料収集、調査、構成、筆力、脱帽です。

後半部分を読み通し『暁の宇品ー陸軍船舶司令官たちのヒロシマ』というタイトルも理解できたと思います。

日中戦争は想定に反して長引いていきます、

欧米からの経済封鎖が進むと自前の資源を持たない日本は解決策として南進論が浮上します。

東南アジアの資源を取り込もうともくろみます。

太平洋戦争開戦2年ほど前から準備が始まったようです(宇品に連絡があったのは15年8月)。

今までは中国大陸程度の距離の輸送でしたが、南進となるとマレー半島やインドネシアという長大な補給路が必要になります。

陸軍運輸部にはとんでもない話です。

船がありません。民間から徴傭するしかないのですが、船員を含めてですから船も人もいなくなる民間輸送は疲弊してしまいます。

何事のおいても軍隊優先ですから、国民は「欲しがりません、勝つまでは」を強いられます。

すべて軍隊ファーストです。

戦時となれば損害を受ける船舶も大量に出てきます。新造船で賄えるのか。到底無理です。

しかし参謀本部が輸送に関して綿密に検討した形跡はありません。

大雑把に計算して出してきた数字は、戦争するに都合の良いものばかりです。改ざんといっていいでしょう。

戦争するための数字です。

今でもよくある話です。

慎重な意見具申があれば、「弱虫!」と一喝されるのがおちです。

司令官も参謀も陸士出身者、それも幼年学校からの軍事教育中心で育っています。

社会経験にも乏しく、今の官僚にも残る年次による縦社会。もちろん厳然たる階級社会です。

成績は優秀でしょうが、一律です。多様性などありません。

そして戦略・作戦部門が花形ですから、輸送、兵站は軽んじられています。

 

現場(宇品)は命令とあれば懸命に作業を進めます。

民間の船を軍の輸送(兵士、軍需、食料他)船として改造し南に送ります。

船を動かすのは船員です。その船員にはなにも保障がありません。

軍馬以下の扱いです。

現場からは待遇改善の要望が上がりますが無視されます。

開戦直後は大本営も連戦連勝に浮かれますが、半年後のミッドウエー海戦で完敗してしまうと、

一気に下降線をたどります。

大本営発表もフェイクニュースになり下がります。

米軍は海空とも戦力を増強し、海中からは潜水艦が輸送船団を襲います。

特にガ島は、米軍の徹底した兵糧攻めにあったため補給が途絶え「餓島」と呼ばれるほどになりました。

戦死=餓死でした。

馬以下に扱われていた船員たちの最後も悲惨でした。

戦争後半になると、宇品には徴傭する船舶も少なくなりその役割も低下してしまいました。

その時期には特攻艇の製造と乗務兵士の育成に力を入れています。

全国から約2000人の若者を集めて、「陸軍版神風特攻」を実施しています。

作戦当初は成功したものの米軍に見破られた後は戦力にはなりませんでした。

 

こうして迎えた20年8月6日、広島の原爆が投下されました。

宇品は爆心地から離れていたためほぼ無傷でした。

爆心地にあった陸軍総軍司令部はほぼ機能停止に陥り、生き残った宇品の船舶部が救援・復旧活動の中心を担います。

その活躍は特筆されるべきものでした。

この行動を当時の史料をもとに時間の経過とともに再現されています。

佐伯司令官の指示の的確さは今から見ても驚くばかりです。

なぜそのような行動ができたのか。

その理由は関東大震災の軍の救援行動の体験でした。

司令官が若き日に体験していたことが四半世紀後に生きたのです。

 

読み通してみて、堀川惠子さんが広島出身だからこそ書くことができたドキュメンタリーだと思いました。

感嘆のことばしかありません。

 

※本を再度開くことなく、頭に残った印象のみを書きました。

本をお読みいただくことをお薦めします。

 

お読みいただきありがとうございました。

💛ウクライナに平和を💛

 

※見出し画像は、岡山の旧陸軍将校倶楽部です。

 

 



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