備前市長島にあるハンセン病療養所のひとつ、「邑久光明園」が100年を迎え、
記念式典が開催されました。
長島に、邑久光明園が開園したのは、1938年(昭和13年)ですから、70年ほどの歴史です。100年ではありません。
実は、光明園には前身があるのです。
1909年(明治42年)に、全国に5つの公立らい療養所が建てられました。
そのひとつが、大阪・外島療養所です。
外島療養所は、今でも語り継がれる昭和9年の室戸台風で壊滅的被害を受けます。
患者・職員の死者は187名に上りました。
生き残った患者さんは、全国の療養所に分散収容されます。
そして、4年後、1938年(昭和13年)長島に二つ目の療養所として、邑久光明園が建設されます。
全国に散らばっていた患者さんは再びこの長島の施設に収容されました。
ですから、30年+70年=100年ということになります。
このような数奇な運命をたどった邑久光明園が、100年という節目を迎えました。
以下は、山陽新聞WEBからです。
ハンセン病の国立療養所邑久光明園(瀬戸内市邑久町虫明)の創立100周年式典が19日、同園光明会館であり、入所者や施設関係者らが隔離政策による人権侵害など1世紀にわたる歴史の重さを胸に刻み、差別や偏見のない未来実現へ決意を新たにした。
式典には入所者、同園職員のほか厚生労働省などの関係者ら約170人が出席。畑野研太郎園長が多難な歴史を踏まえ「入所者と職員が1つの共同体として人権を守る戦いを進めていきたい」などとあいさつ。同園入所者自治会の屋猛司会長は「ハンセン病問題は道半ば。入所者が生きていて良かったと思いながら人生を全うできるよう、協力をお願いしたい」と述べた。
出席者らは施設で亡くなった入所者らの遺骨を納めた納骨堂で献花。畑野園長らが同会館北側にヒマラヤスギを植樹した。
※写真は邑久光明園。昨年訪問時に撮影しました。