岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

「吹屋 近世と近代の光と影」 岡山県高梁市

2014-06-28 17:13:23 | Y21山の会と、ハイキング
高梁城下から1時間。山峡の狭く曲がりくねった県道を登りつめると、桃源郷が出現する。
ベンガラの里「吹屋」である。

どうしてこのような村が出来たのか。
まことに興味は尽きない。

銅山があった。ベンガラの製造ができた。
日本中から企業や人が集まり、歌舞伎さえ興行された。
往時の面影はないけれど、残された豪邸にその富の蓄積の名残を感じることができる。

しかし、現代に生きる私達は、銅の重要性や採掘方法について、また銅山で働くことがどのようなことか、知らないといっていい。
住友や三菱という日本を代表する財閥がこの地で富を得ようとした。
三菱の創始者 岩崎弥太郎本人が人力車に乗ってこの僻地まで訪れたという。
それだけの魅力がこの地にあったのだ。

銅の採掘現場に入ることができる。狭いトンネルを這うように奥に行き鉱脈から掘り出している。
硬い岩を削る作業はどのようなものだったのだろうか。
劣悪な作業環境だったことは間違いない。
飯場のような宿泊施設が並んでいたのだろうけれど、今はまったく残っていない。
残るような建物であるはずはない。

一方、雇い主である土地の富裕層は城と見まごう邸宅を建てた。
歳月を経た現代も生き残っている。
私たちが見る風景は この村の光の部分でしかない。

ベンガラについては、私達はその利用方法さえおぼろげだ。
その全てが吹屋で見て歩くことで見聞できるし、昔を想像することさえできる。






ベンガラ館ではベンガラの製造過程が再現されている。とても手間のかかる作業だ。







銅山の入り口。全員ヘルメットを着用した。
おおげざなと思ったけれど、着用してよかった。
坑内は狭く頭が当たりそうになった。
写真は特別広い場所だ。





旧片山邸などというベンガラ分限の家をみた。





間口も広いが奥行きは想像を超える。
京都の町家はうなぎの寝床のように奥が長いが、この豪邸はそれ以上だ。









とりあえず今日はここまでです。





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