地域のことをよく知るためには歴史博物館が一番です。
新潟市にはとても立派な歴史博物館があります。
西日本に住む者は新潟などの歴史に疎いと言わざるをえませんからこのような博物館見学は大変意味があると思っています。
まず思うのは、この広大な信濃川流域(湿地帯)がどうして全国屈指の米の生産地として発達できたのか。
かつては広大な沼地だったはずです。
たびたび信濃川や阿武隈川が氾濫して水がはけなかったと想像されます。
いかに新田開発をしたのか。
そのことが詳しく紹介されていました。
まず外回りです。本館です。
港の荷揚げ場です。復元です。
旧新潟税関です。重要文化財です。
旧第四銀行住吉町支店です。
↓ 本館に入りました。
本館入口ホールです。開放的です。
螺旋階段を上ります。
ホールを見下ろします。
「田をひらく 村をおこす」 知りたいテーマです。
この絵のような風景だったのでしょう。潟と砂丘、日本海。狩猟を中心にした生活。
↑ 現在の地形図だと思われます。信濃川分水路があります。今回の旅行では回った地域です。
海岸から信濃平野の断面図。
縄文から弥生時代
ヤマト政権の影響は4世紀ごろ。
サケ漁に興味深々の子どもたち。
製鉄が始まったのは奈良時代。
須恵器も奈良時代から。
鎌倉、室町時代に日本海交流が発達。
戦国時代の新潟
浄土真宗が広まる
新潟の繁栄が始まる
信濃川左岸の町跡、現在の古町周辺。
今回の旅行目的である良寛師の故事も紹介されていました。
川と海を行きかう船。北前船で瀬戸内海から大坂まで運ばれていた。良寛師の修行の地玉島も
北前船の湊町だった。
新潟の海運ネットワーク
佐渡や能登との交流も大きい。
豊かな文化が形成されていく 料亭文化も
新潟の女性
明治からの急激な変化
坂口家と新潟の文化人
飲料水は信濃川から取っていた。
日本海を渡って満州へ 新潟は大陸への主要な港になった。
新潟も原爆投下予定地になった。町からは市民がいなくなった。
戦後は防災都市を目指した
公害も発生(人々と水の間に隔たりができた)
江戸時代の絵図。川の流れと多くの潟、その周辺に多くの村落
2大河川のひとつ、阿賀野川河口の変遷
江戸後期の治水工事です
ざーと学んで、街へ出よう。
続きます。
お読みいただきありがとうございました。
ウクライナと中東に平和を!