カメルーンの村ではお金の使用が始まった現場が取材されていた。
ある男性は、共有物の一部を現金化していた。
それを家族は喜んで受け入れている。
お金で欲しいものが手に入ることを知っている。
戸主である男性は私有の農場を作ろうと人を雇っていた。
事業を始めることが未来を拓くことを知っていた。
ただ、この事例が数千年前の貨幣獲得時と同じとは思えない。
現代のカメルーンと都市が誕生する時代では外的条件が違う。
メソポタミアで誕生した麦というお金は、他地域では米や塩、羊を利用した。
この類のお金は、時間の経過とともに劣化するという問題があった。
ひとつの解決策がギリシアのアテナイで発明された。
今につながるお金、コインの誕生である。
コインは銀で作られていた。
コインにはフクロウが刻印されていた。銀の純度を保証するものだった。
腐ることなくどこへでも携帯できるコインの発明は、交易の範囲を大きく広げた。
地中海世界から外へ広がっていった。
コインの発明は、人々の精神世界も変えていくことになる。
人々にとって、不安定な社会の中で唯一確かなものと思えてきた。
そして、脳はお金を求めることが快楽であることを獲得していく。
貧富の差が生まれ、人も売買の対象となる。
格差の始まりだ。
お金が発明されると副産物として格差による争いが起こる。
古代都市テルグラク(現シリア)には、その争いの犠牲者が大量に発掘された。
人はお金の弊害を、お金の誕生と時を隔てず知ることになった。
対応策が取られた。
「アマギ」という名がつけられた制度だ。
BC2400年、メソポタミアに生まれた「借金帳消制度」だ。
当時すでに欲望を制限する制度が必要と思われていたのだ。
現代にも綿々と受け継がれる「再分配」の考え方といえる。
市場至上主義の限界は、お金の誕生とともに知られていた。
人の脳には、公平をよしとする仕組みができているという。
私たちはお金を独占することに抵抗がある。
特に、人と接している時に抵抗がより大きくなる。
人前では独り占めすることを良しとしないのだ。
この脳の反応は、遠い昔、原始共産制時代に、独り占めを非難されてきた心の遺産なのかもしれない。
この遺産が失われないからこそ、人は人となりえたのだろう。
協力することで共存してきた。
それが我々がヒューマンとして誇れることだと思う。