岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

【長島愛生園】 目白寮跡から納骨堂へ

2008-07-12 21:23:10 | ハンセン病
絶対隔離された入所者の方は、社会から抹殺されたといってよかった。
生活すべてがこの島で完結することを強要された。
名前も変え、故郷の家族に類が及ばないようにした。
残った家族は、家族の中に患者がいることを隠し続けた。
事実がわかれば、家族も社会から差別されるしかなかった。

長島の小高い丘にある納骨堂は、先祖や家族とともに墓に入ることを
拒否された入所者の方々が眠っている。
死後も差別が続くことの象徴である。

歴史館パンプからの引用です。
「ハンセン病に対する偏見や差別の目は患者のみならず家族まで
巻き込んでしまったため、遺骨を引き取ることも難しくなりました。
 園内に残された遺骨を無縁仏にしてはいけないという想いから昭和9年、
初代の納骨堂が造られ、平成14年、老朽化のため更新されました。
この中には亡くなってもなお故郷に帰れない約3500柱もの遺骨が
眠っています」

こうして、入所者の方々は一人も子孫を残すことなくこの地に葬られた。
なぜ、感染力のよわい伝染病に罹病しただけで、根絶やしにされてしまうのか。
このような政策が、戦前、戦後と一貫して継承されてきたのか。
なにが隠されてきたのか。

写真は、納骨堂です。


最新の画像もっと見る