毎日新聞6月3日より
同氏の『人生相談 谷川俊太郎対談集』(朝日文庫)観光に合わせてのインタビューとのこと。
注目したいくつかの発言を書き留めておきたいと思います。
現在の「言葉のインフレーション」について、
言葉の量だけではなく質が変わってきたのではないか、と。
昔の人の言葉は、命がけといったらオーバーですが全身がそこにかかっていた。
今は、話す言葉でも、書く言葉でも、その人の全人格がかかっているとは思えない言葉が多い気がします。
詩や言葉そのものに対する疑念
詩というものは現実の本当にごく一部分しか表せないし、言語は現実を全的には捉えられないということを意識してきました。
でも詩に向き合ってきた
小説を書かないかと誘われたこともありますが、書き始めたら全然自分には向かないということが分かったんです。
一つは、僕は物語というものにあまり関心がないんです。場面は書けるんです。
でも場面をつなぐ筋みたいなものが浮かんでこない。
死や老いについて
そりゃもう、それしか意識していないみたいなものですから。
10代の頃から詩に書いています。老いや死がなければ、生きるということは成立しないと昔から思っていました。
「残らなくてもいい/なに一つ/書いた詩も/自分も」
僕は若い頃から、たとえば自分の仕事を分厚い全集にして残したいとかはあまり考えなくて、
読者の心の中に残ればいい、あるいは残らなくてもいいとさえ思っていました。
詩を読んだ一人一人が感じたものが、その瞬間ごとに現れる。
それはずっと残るものではない。
詩はどうやって書くのか
最近は、朝ベッドの中で目が覚めた時とかに幾つかの言葉が浮かんできて、そこから始まることがわりとあります。
ただ、推敲には、若い頃よりはるかに多くの時間をかけるようになりました。
これからの時代に、詩はどういう力を持てるか
散文から詩の方に言語が移っていくのは時代の趨勢ではないかという気がします。
子供たちへのアドバイス
言葉を覚えていくうえで、言葉で遊ぶということがすごく大事なんじゃないかな。
活字だけではなく、声も大事にしてほしいですね。
お読みいただきありがとうございました。
💛ウクライナに平和を💛