岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

『生・死・認知症に関する考察ー認知症を患う母との関りを通してー』坂田昌彦 その2

2019-08-22 06:49:28 | ケアラーのために

3 理想の人間像

認知症を患った「母」と過去の「母」のイメージの狭間で苦しんだ坂田さん。

多くの認知症患者の家族に共通するこころの有り様だし苦しみです。

理想に近い人間像を作り上げた坂田さんの「母」のような方が

「感情を制御できなくなったり意味不明のことを訴える認知症」を発症してしまう。

<青空の時期>の人間像を失ってしまった人はそれでも生きていきます。

すべての人は不慮の事故や病気に出会うことなく生きていけば、やがて<夕闇の時>を過ごさざるを得ないのです。

確かに認知症になった方を看ている家族などは、愕然としてそこで立ち尽くしてしまうでしょう。

「長年手放すことのなかった『人間像』は瞬く間に音を立てて崩れ去った」のですから。

坂田さんは「<夕闇の時期>が持つ脆弱性を認めないのならば、人間にとって不可避の生命の流れを否定していしまうことになる」と書きます。

私もまったく同感です。

<夕闇の時期>をどのようにともに寄り添い過ごせばいいのか。

初めて体験する家族は茫然とし深く考えることもできなくなってしまいます。

「母」の最期の役割。

「人間は、『人間像』を求めわがものにして行く<青空の時期>だけでなく、そのたがが外れ、幻覚に翻弄され『知』を失い、感情を制御できなくなり暴言を吐いたり暴力を振るう存在でもあることを理解させてくれた」

坂田さんは、「それが人間なのだ。その現実を了承することで、初めて”人間の全体像”を等身大にとらえることができる」と喝破しました。

人は誰でも不都合なことを認めたがらないけれど、「母」に現れた不都合なことを心の底から受け入れることこそケアの根っこだと思います。

続きます。

お読みいただき有難うございました。



最新の画像もっと見る