朝日新聞1月31日 けいざいノートから。
経済学に疎い私には、経済の案内人が不可欠なのだが。
小林慶一郎氏が、私たちの立ち位置を少しだけ教えてくれた。
○マクロ理論に指導的研究者(ジョルディ・ガリ教授)は、最近の理論には今回の世界的な金融危機を扱うだけの能力がないことを素直に認めた。
それは、金融危機では、問題の中心は銀行などの金融機関でありながら、マクロ理論では銀行、証券、保険会社などの金融システムがほとんど無視され省略されていることによる。
また、資産価値の下落が景気を急激に悪化させているのだが、この資産価値も標準的なマクロ経済モデルでは十分には扱えない。
さらに、経済学では「人間は合理的だ」という仮説にあまりにも依存している(小林氏)。(人間が合理的な動物ではないことは、社会学では当たり前だが)。
○貨幣の位置づけが大きな問題(小林氏)。標準モデルには、本質的に「貨幣」が欠如している。
貨幣は市場の中の存在であると同時に、市場が健全に機能するための土台の役割も担う。貨幣の役割に「公共性」を見るという。
ケインズ経済学は、市場を支える「公共性」をすべて政府に帰す。
対して、現在の標準的経済学は、市場を支える何かが必要という問題をほとんど意識しない。
※このあたりは、わかるような気持ちになる。
財政再建と言っていた人々が、突然、財政出動を主張し始めた。
市場の野放しから、市場への大介入へと、変わったことに、なにも理論的な裏付けや、成果への確信はないということだ。
これを対処療法という。原因が解明できていないことを物語っている。
そして、この金融危機に端を発する世界不況の解明が新たな経済学を生み出すだろうという。
例えれば、新型インフルエンザウイルスとワクチンの関係のようなものか。
起こってみなければ、ワクチンはつくれないのだろう。
素人が今まで感じてきたことは、世界の「貨幣」と「資産価値」が非常識な状態にあったこと。
「人間は不合理」なことは自明なこと。
このことが経済学の常識ではなかったことには驚いた。
そういえば、竹中氏は弁舌さわやかなれど、人間を理解しているとは失礼ながら思わなかった。
「構造改革」のまやかしが少しわかったような気がする。
※写真は吉備高原の1本道。まさか経済学はこのような道ではないだろうが。
経済学に疎い私には、経済の案内人が不可欠なのだが。
小林慶一郎氏が、私たちの立ち位置を少しだけ教えてくれた。
○マクロ理論に指導的研究者(ジョルディ・ガリ教授)は、最近の理論には今回の世界的な金融危機を扱うだけの能力がないことを素直に認めた。
それは、金融危機では、問題の中心は銀行などの金融機関でありながら、マクロ理論では銀行、証券、保険会社などの金融システムがほとんど無視され省略されていることによる。
また、資産価値の下落が景気を急激に悪化させているのだが、この資産価値も標準的なマクロ経済モデルでは十分には扱えない。
さらに、経済学では「人間は合理的だ」という仮説にあまりにも依存している(小林氏)。(人間が合理的な動物ではないことは、社会学では当たり前だが)。
○貨幣の位置づけが大きな問題(小林氏)。標準モデルには、本質的に「貨幣」が欠如している。
貨幣は市場の中の存在であると同時に、市場が健全に機能するための土台の役割も担う。貨幣の役割に「公共性」を見るという。
ケインズ経済学は、市場を支える「公共性」をすべて政府に帰す。
対して、現在の標準的経済学は、市場を支える何かが必要という問題をほとんど意識しない。
※このあたりは、わかるような気持ちになる。
財政再建と言っていた人々が、突然、財政出動を主張し始めた。
市場の野放しから、市場への大介入へと、変わったことに、なにも理論的な裏付けや、成果への確信はないということだ。
これを対処療法という。原因が解明できていないことを物語っている。
そして、この金融危機に端を発する世界不況の解明が新たな経済学を生み出すだろうという。
例えれば、新型インフルエンザウイルスとワクチンの関係のようなものか。
起こってみなければ、ワクチンはつくれないのだろう。
素人が今まで感じてきたことは、世界の「貨幣」と「資産価値」が非常識な状態にあったこと。
「人間は不合理」なことは自明なこと。
このことが経済学の常識ではなかったことには驚いた。
そういえば、竹中氏は弁舌さわやかなれど、人間を理解しているとは失礼ながら思わなかった。
「構造改革」のまやかしが少しわかったような気がする。
※写真は吉備高原の1本道。まさか経済学はこのような道ではないだろうが。