岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

スティーブ・ジョブズの彷徨。

2012-07-07 15:37:17 | 
ジョブズは風変わりだが時代に密着した青年になっていった。

ハイスクールを卒業したジョブスは彼にとって唯一価値があると思えたリード・カレッジに進学した。
この私立のカレッジは、とてもユニークで1960年代は薬物使用に関しても鷹揚だったらしい。ジョブズはLSDを愛用していてその体験に高い評価を与えている。
学費の高さも半端ではないらしく、ジョブズはすぐに中退し、モグリ的な立場で校内に18ヶ月滞在した。
1974年、ジョブズはインドに旅立つ。
経緯を読んでいると結構気ままに行動している。
世間もそのことに寛容だった。
よき時代だったといえよう。
インドへは旅は東洋の哲学的な思想に憧れてだった。
このことだって当時の若者によくある行動で彼特有とはいえない。

彼の行動をよく知るためにはカンターカルチャーについても知っておかなくてはならない。
カウンターカルチャーは、60年代のベトナム戦争後にアメリカを中心に創られた若者文化といっていいだろう。

「ホールアースカタログ」という雑誌があった。
カウンターカルチャーの象徴といえるだろう。
ジョブズはこの本が大好きだった。
ジョブズはカウンターカルチャーの申し子だった。

では彼らは、当時のコンピューターをどう思っていただろう。
「コンピューターは官僚的管理のツール」とみなされていたのだ。
もちろん、パソコンが生まれる前のコンピューターのことである。

その官僚的なツールとしてのコンピューターを、自分たちの表現手段として利用する。

それがジョブズの目指す「カウンターカルチャーとテクノロジーのホールアース的な融合」だった。

ジョブズの10代の彷徨があったからこそ、アップル1が彼の20代として結実したのだ。

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