2023年12月15日、西武池袋駅から清瀬駅に向かいました。
初めての訪問です。
都心の人の多さには驚かされます。
ホームを探しながら歩いていると人にぶつかりそうです。
人波を避けるのに必死です。
でも清瀬駅までたどり着くと変わらぬ街並みがありました。
清瀬駅からバスで10分ほどです。武蔵野の風景です。
土が黒いですね。関東クローム層と学んだ覚えがあります。
都心ではコンクリートで覆われて見えない黒さです。
西日本の明るい土に馴染んでいるので珍しく思いました。
ハンセン病資料館バス停です。
念願かなっての訪問です。
玄関前に敷地の全体図がありました。右端辺りです。
遍路姿の母娘像です。四国巡礼にはハンセン病を患って人々も姿もありました。
園内の立ち入りはできません。例外なのは納骨堂参拝です。資料館を見学したのちに伺います。
ただ資料館の中は全面的に撮影禁止です。
いただいた資料から書いてみたいと思います。
1993年「高松宮記念ハンセン病資料館」として設立・開館されました。
ハンセン病回復者が自ら設立した資料館です。
2001年「らい予防法」違憲国家賠償請求訴訟訴訟の判決確定を受けて、国立施設として2007年に再開館しました。
常設展示室
展示室1「歴史展示」
展示室2「らい療養所」※らいは漢字ですが変換できません。
展示室3「生き抜いた証」
膨大な写真や資料、そして当時使われた道具類が展示されています。とても短時間では見ることができないスケールです。資料は全国の療養所から集められています。
岡山の長島愛生園などでも歴史的資料を観ることができるのですが、多摩全生園は全国の療養所の中心的な役割を担っていたことがよくわかりました。
戦後の予防法闘争や、文化芸術活動の広がりや深さも知ることができました。
映像コーナーでは終日映像が公開されていました。残念ながら1本のみ観ました。
証言コーナーでは国内外のハンセン病回復者の証言映像も視聴できます。
それから図書館が併設されています。のぞくだけになってしまいましたが、全国の療養所の発行誌もありました。
大島青松園「青松」の巻頭には沢知恵さんの文章が掲載されていました。
2時間ほど滞在した後、納骨堂に参拝しました。
納骨堂に向かう小径です。
最初の火葬場跡です。正門近くにありました。
納骨堂の背面です。
立ち入り禁止になっている小道。
参拝に来られて方のための東屋がありました。
正面に回りました。
3493名の方が眠っておられます(1986年時点)。
参拝。
納骨堂を見守るような立つイチョウの樹。
白いラインは視覚障害のある方の助けにもなります。
入口です。通常はこちらから参拝するのですが、コロナ下のため裏から入ることになっていました。
正面に戻りました。
帰りは清瀬駅まで歩きました。
感染病研究所が隣接していました。
救世軍清瀬病院です。
見事な赤松林です。
保存公園になっているのですね。
清瀬駅まで戻り、私鉄を乗り継いで森林公園駅までいきました。
お読みいただきありがとうございました。
ウクライナに平和を!
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