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昭和史の暗部として語られる小林多喜二(日本プロレタリア文学の旗手)の虐殺。
しかしこの映画(監督は山田火砂子さん85歳)はそこに焦点を当てるだけでなく母親との愛情あふれる交流を描いていきます。
小林多喜二が特高に虐殺されたのは1933年2月。この時代までで映画を終えるものと思っていましたが、
戦後1961年、母セキの死を見届けて映画は終わります。
まさに多喜二の「母」の物語です。
セキは、1873年8月 秋田県大館市(現)釈迦内村で生まれます。(旧姓は木村)
伯父が先に移住していた北海道・小樽に一家で移ります。多喜二4歳の時です。
多喜二は小樽高商(現・小樽商大)卒業後、北海道拓殖銀行に入行します。
人柄は「多喜二は明るい性格で、とても話し好きな人物であった。 母思いで地下に潜入後も原稿料は母親に送り、死の間際にも、母親にだけは知らせてくれ、と懇願した」とwikiにあります。
映画でも母子の愛情と信頼関係がとても強いように感じられました。
原作は三浦綾子です。三浦綾子といえば北海道そしてキリスト教です。この映画の中でもこの二つはキーワードになります。
北海道は厳しい自然とともに、集治監(監獄)やタコ部屋という人権無視の施設がありました。
教誨師として牧師、神父、僧侶が待遇改善を試みています。
そのような環境は多喜二を共産党に近づけます(入党は1931年、死の2年前)。
多喜二は学生時代から小説を書いています。作家して10年間に多くの作品を残しています。
しかし、この映画は詳しくは触れません。あくまで母からの目線です。
映画は、演劇のシナリオのように進行します。奇をてらうような演出はありません。
俳優さんは演技力を試されます。主演は寺島しのぶさんです。
会場は、岡山市民会館でした。
原題ぷろだくしょん制作です。