岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

陸前高田市 大震災から3年4ヶ月を経過して。

2014-07-15 21:02:43 | ボランティアとアムダ
炎天下のテント設営はなかなか厳しい。
水分補給を取りながら半分を組み立てて時間切れとなった。
他のボランティアスタッフに後をお願いして、太田さんと佐々木さんに市内を案内してもらうことになりました。
この時間しか取れないので申し訳ないけれど会場から震災前は街だった地域にバスで出かけました。
冒頭の写真は陸前高田駅跡から駅前商店街跡を望んでいます。



この市街地跡は盛土を10m以上の高さにすることになっているそうです。
住宅ができるのは盛土完成後となります。
今は付近の山からベルトコンベアで土砂を運ぶという作業続いています。









ただ1本だけ残ったクロマツも枯れ、金属製で再現されています。

では、どのような被害だったのでしょうか。



上が震災前です、下が震災後です。

海岸の黒い帯がクロマツ数万本です。7万本だとWIKIに書いてありましたが、どうしてもそんなにあるとは思えない私です。



赤いラインが国道45号線。住民の命綱と呼ばれました。
緑のラインが鉄道です。陸前高田駅前に市街地が密集していたことがわかります。
平地はすべて流され、高台になっていた地域のみが残ったことがわかります。
高田小学校は、左端上から4分の一辺りです。
その辺りまで津波が襲ったわけです。
街の中心部から高台まで逃げる時間があったのでしょうか。

1本松から車で港まで移動しました。







案内していただいた佐々木さんは水門を閉めて車が高台に逃げたそうです。
堤防の上を船が乗り越えて来たそうです。

佐々木さんは、牡蠣の養殖を生業にしているそうです。
サイズも味も日本一です。
気仙川の水が牡蠣を美味しく育てるそうです。
里山が大事なのですね。
現在は再開しています。
といっても冬の間ですね。

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