良寛記念館を訪問した後に隣接している「良寛と夕日の丘公園」に登りました。
西を向けば港が見えます。夕陽が落ちる方向です。まだ昼過ぎです。
北を向いています。遠くに佐渡島が見えます。良寛の母は佐渡島出身です。
街並みの右手に良寛堂が見えるのですが分かりずらいです。
この写真では良寛堂が左手に見えます。
良寛の生家、橘屋跡です。
右上の山が国上山です。
岡山・玉島の円通寺国仙和尚が訪れ(1779年)、良寛を伴いこの地を離れます。
母とは涙ながらの別れです。今生の別れとなりました。
公園の樹間から良寛堂を望みます。
子どもたちと遊ぶ良寛像です。
妻入りの建物が並びます。正面が良寛堂です。遥かかなたに佐渡島です。
良寛は一度も母(秀子おのぶ)の里に行ってません。母も里帰りしていません。
街の建物は妻入りです。間口で課税されたので節税のために間口が狭くなっています。
良寛と夕日の丘公園は「にいがた景勝100選」に選ばれています。
ここから良寛堂まで降りていきます。
妻入りです。板張りです。後ろの丘から降りてきました。
良寛堂の案内板です。
良寛堂です。佐渡島を向いて建てられています。
橘屋の敷地は現在の2倍ほどだったそうです。廻船問屋であり名主の家です。
しかし、そのような家業が良寛に向いているとは思えません。
18歳で出家し22歳でこの地を離れます。
橘屋は弟(由之)が継ぎます。
海側から良寛堂を背景に良寛像です。
私たちが思い浮かべる良寛のお顔です。
広い敷地です。
約17年後に良寛は再びこの地に帰ってきます。
しかし生家のある出雲崎には停まることはありませんでした。
逃げるように去った街です。
人びとの思いも良寛のそれも複雑だったでしょう。
寺泊郷本まで行きます。
そこで留まります。
続きます。
お読みいただきありがとうございました。
ウクライナに平和を!
中東に平和を!