岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

良寛さんの旧蹟を訪ねる旅 4 出雲崎

2023-10-25 05:02:41 | 良寛師

良寛記念館を訪問した後に隣接している「良寛と夕日の丘公園」に登りました。

西を向けば港が見えます。夕陽が落ちる方向です。まだ昼過ぎです。

北を向いています。遠くに佐渡島が見えます。良寛の母は佐渡島出身です。

街並みの右手に良寛堂が見えるのですが分かりずらいです。

この写真では良寛堂が左手に見えます。

良寛の生家、橘屋跡です。

右上の山が国上山です。

岡山・玉島の円通寺国仙和尚が訪れ(1779年)、良寛を伴いこの地を離れます。

母とは涙ながらの別れです。今生の別れとなりました。

公園の樹間から良寛堂を望みます。

子どもたちと遊ぶ良寛像です。

妻入りの建物が並びます。正面が良寛堂です。遥かかなたに佐渡島です。

良寛は一度も母(秀子おのぶ)の里に行ってません。母も里帰りしていません。

街の建物は妻入りです。間口で課税されたので節税のために間口が狭くなっています。

良寛と夕日の丘公園は「にいがた景勝100選」に選ばれています。

ここから良寛堂まで降りていきます。

妻入りです。板張りです。後ろの丘から降りてきました。

良寛堂の案内板です。

良寛堂です。佐渡島を向いて建てられています。

橘屋の敷地は現在の2倍ほどだったそうです。廻船問屋であり名主の家です。

しかし、そのような家業が良寛に向いているとは思えません。

18歳で出家し22歳でこの地を離れます。

橘屋は弟(由之)が継ぎます。

海側から良寛堂を背景に良寛像です。

私たちが思い浮かべる良寛のお顔です。

広い敷地です。

約17年後に良寛は再びこの地に帰ってきます。

しかし生家のある出雲崎には停まることはありませんでした。

逃げるように去った街です。

人びとの思いも良寛のそれも複雑だったでしょう。

寺泊郷本まで行きます。

そこで留まります。

続きます。

 

お読みいただきありがとうございました。

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