『フィンランドを世界一に導いた100の社会改革』の29番目に
親族介護給付について書かれている。
「親族ケアは、自宅でのホームケアを補助するもので、費用負担からしても、
集中的に行われるホームケアや施設ケアより安価であると捉えられています」
フィンランドでは1982年社会福祉法において高齢者と障害者の家族介護給付が開始され、
1990年代の不況期に増加し、1993年から親族介護給付が法律に定められ、
2006年に親族介護給付法が施行された、とあります。
ですから、親族介護給付は介護保険のような制度の中にはないことになります。
報酬は最少額で月額300ユーロ、重度で600ユーロ以上とのこと。
「親族介護給付は、被介護者に提供されるサービス、親族である介護者に対する報酬、
自由時間と介護を支援するサービスのよって構成され、内容はケアサービスプランによって決定します」
「親族介護は、今日の高齢者サービス制度の大切な一部となりました。
公的なサービスの中に親族の介護を加えたことで、個人と社会の相互に権利と義務を
新しいやり方で定めることができたのでした」
このような社会改革が、改革の名に値するものと思います。
それは「個人と社会の相互の権利と義務」の再定義がなされているからです。
日本の介護保険制度は、介護というものを「新しいやり方で定める」ということに
失敗してしまいました。
同居の家族がいるから訪問介護は困難、という考えは「今までの家族の役割」の
過ぎ去りつつある考えに寄りかかっています。
親族給付という考えをこの国をとりえないのだろうか、
私はとれると思います。
親族介護給付について書かれている。
「親族ケアは、自宅でのホームケアを補助するもので、費用負担からしても、
集中的に行われるホームケアや施設ケアより安価であると捉えられています」
フィンランドでは1982年社会福祉法において高齢者と障害者の家族介護給付が開始され、
1990年代の不況期に増加し、1993年から親族介護給付が法律に定められ、
2006年に親族介護給付法が施行された、とあります。
ですから、親族介護給付は介護保険のような制度の中にはないことになります。
報酬は最少額で月額300ユーロ、重度で600ユーロ以上とのこと。
「親族介護給付は、被介護者に提供されるサービス、親族である介護者に対する報酬、
自由時間と介護を支援するサービスのよって構成され、内容はケアサービスプランによって決定します」
「親族介護は、今日の高齢者サービス制度の大切な一部となりました。
公的なサービスの中に親族の介護を加えたことで、個人と社会の相互に権利と義務を
新しいやり方で定めることができたのでした」
このような社会改革が、改革の名に値するものと思います。
それは「個人と社会の相互の権利と義務」の再定義がなされているからです。
日本の介護保険制度は、介護というものを「新しいやり方で定める」ということに
失敗してしまいました。
同居の家族がいるから訪問介護は困難、という考えは「今までの家族の役割」の
過ぎ去りつつある考えに寄りかかっています。
親族給付という考えをこの国をとりえないのだろうか、
私はとれると思います。
を再定義することと、社会の状況とが契機になって成功したのと、それを考えた方々と努力を惜しまずそれに向けて尽力した方々、そして民意があったのでしょうね。大きな変革だったと思います。
家族機能の外部化として進んできた、介護の社会化はいまだに足踏みしています。処遇実践あるいは実践が制度となっていくような仕組みがまだまだなのかもしれないと思いました。
コメントありがとうございます。
親族介護給付を考える時に、子ども手当のことも頭をよぎります。
「こどもは社会が育てるもの」という考えが話されました。
ならば、この考えを議論し、永続する社会改革につなげていくことまで進めたいですね。
二つは見事に繋がっています。
拙ブログ(第3763号)に引用させていただきました。
*お写真もお借りします。
その後の思考の深まりがないことを反省しています。
継続することの難しさですね。
ありがとうございます。
職場で自立支援を奪う程の介護をしながら
家に放置してきた老人を常に思いながら
苦しんでいます。
コメントありがとうございます。
現在、私は仕事中は両親のことは忘れておられる境遇です。
このような環境のものには、鈴音さんの来しみは自分のものにできません。
しかし私の明日はまったくわかりません。
明日が見えないから安穏と暮らしているのかもしれません。
一日一日を大切にしたいと思います。
ありがとうございました。