沖縄最後の朝ですが、早朝にホテルを出発。リゾートのない沖縄というのは寂しいものです。
【沖縄から札幌へ】
今日は札幌で午後1時半からの会議があるために、那覇空港を8時5分発の飛行機で出発し、羽田で10時50分発の札幌行きに乗り換えるという慌ただしいスケジュールです。
天気はお日様も見える晴れなので天候不順による飛行機のトラブルもなかろうと安心して空港へ向かいました。
予定の便に乗り込んで、滑走路へ飛行機が出発してしばらくしたところで機内放送が始まりました。
「え~、ただいま機内で急病のお客様がいらっしゃいます。機長の判断で再び駐機場へと引き返すことといたしました。お急ぎのところ大変申し訳ございませんが、ご協力の程お願い申し上げます…」
うーむ、私の場合天気によるトラブルは少ないのだけれど、天候以外の理由で飛行機が遅れることがしょっちゅうあるのです。まあいざ自分がそういうことになったら、と考えると「明日は我が身」ということなのでしょうね。
結局飛行機は遅れて出発し、羽田では予定の便の20分後の11時発の飛行機に振り替えて札幌へと向かいました。前の便に乗らない方が良いという何かの暗示だと思うことにいたしましょう。
※ ※ ※ ※
飛行機の長旅は本が良く読めます。面白くて面白くてずっと読み続けてきた塩野七生さんの「ローマ人の物語」ですが、ついにその14巻を読み上げてしまいました。
このシリーズは、著者が一年に一巻ずつを上梓し全15巻で完結するという予定になっているのですが、昨年の12月に発刊されたのがこの第14巻なのです。…ということは、最後の一巻を読む楽しみは年末までお預けということです。なんとも待ち遠しい限りです。
さて第14巻が描く時代は、4世紀の初めから西暦402年までの約一世紀ですが、読んでいて切なくなるほどに、かつてあれほどの帝国を築き上げそれを守り抜いてきたローマ帝国が崩壊の一途をたどる一世紀なのです。
著者はその理由を、北方からの蛮族襲撃の常態化や、その一方で内線による国内精鋭軍の衰退と喪失、そして他人の信仰に対して「寛容」を誇ったギリシャ・ローマ神への信仰が他の宗教に排斥的な一神教であるキリスト教の隆盛などを挙げています。
著者はこの4世紀後半を描きながらこう言います。
「この頃になって私は、ローマ帝国の滅亡とか、ローマ帝国の崩壊とかは、適切な表現ではないのではないかと思い始めている。滅亡とか崩壊だと、その前はローマ帝国は存在していなくてはならない。存在していないのに、滅亡も崩壊もしようがないからである。と言って、分解とか買いたいとかいう表現も納得いかない。全体が解体して個々の物体になったとしても、それは規模が小さく変わっただけで、本質ならば変わってはいないはずだからだ」
「となると、溶解だろうか、と思ったりする。ローマ帝国は溶解していった、のであろうか、と」
「少なくとも宗教面では『溶解』が妥当であるように思う。なぜなら、ローマ人がキリスト教徒に敗れたのではなく、ローマ人がキリスト教徒になってしまった、のだから」
※ ※ ※ ※
強大なローマ帝国にあってローマ市民と指導者層が健全であった時には、指導者層は元老院というチェック機関かつ人材養成機関との権力バランスを取りながら世間の信任を得る形で権力の正当性を保持していたのです。
そのときには、どんなに辛い時代であっても自分たちの指導者は自分たちが選んでその指導者に政治を託す、という強い生き方が当たり前であったのです。
それがキリスト教が台頭してきて、これをローマ皇帝が公認し国教として行く中で、皇帝に正当性を与えるものは「市民の信任」ではなく、「神の意志によるもの」という考え方の変質が起きていったのです。
そこでは神の意志を告げる者という存在としての司教という立場が存在し、この立場が神の意志を代弁するという形で皇帝を選ぶ役回りを持つようになってゆきました。
テオドシウス帝の時代の西暦390年に、皇帝による政治上のある判断に対して時の司教アンブロシウスは厳重な抗議を行い、結果として皇帝の側から司教に対して和解を求めるという事件が起きました。
この700年後の西暦1077年に、イタリア中部のカノッサという町で、神聖ローマ帝国皇帝ハインリッヒ四世が法王グレゴリウス七世に対して許しを請うために三日三晩雪の中に立ちつくした「カノッサの屈辱」と呼ばれる事件が起きます。
これはまさに宗教が政治の上に存在した暗い中世を代表する事件と言われていますが、その萌芽はなんとこの西暦390年に起きていたのです。
ローマ帝国がローマ帝国でなくなったのは、自らのことを自ら選べなくなった時からなのではないか、と思うのです。指導者が判断を間違えるということはあっても、その指導者は自分たちが選ぶのだ、という自己責任のマインドを持ち続けることが出来たことが、ローマ帝国があれほども続いた大きな要因であるように思えるのです。
現代日本に対してこのことはどの様な示唆を与えてくれるのでしょうか。
※ ※ ※ ※
エピソードをもう一つ。このキリスト教の国教化の後にはそれまでのローマ神たちの像や彫像の破壊の嵐が吹き荒れます。
「『大競技場』の遺跡からテヴェレ河に向かう途中に、聖マリア・イン・コスメディン教会がある。この教会も他と同様に、四世紀末を境にローマ帝国中の公共建造物がキリスト今日の教会に変えられた例の一つだが、この教会に入ってすぐの前廊の壁面に、通称『真実の口』と呼ばれているものがはめ込まれていて、嘘をついた人は手を入れるとかみ切られるという伝説を信ずる観光客が、いつもその前に長い列を作っている」
「これは実は、古代ローマ時代の舗装街路に降る雨水を集めて、街路下を通っている下水道に流しこむためのマンホールのふたであったものなのだ。大型の円盤に彫られているのは河神の顔で、その神の口が、二千年後の今では『真実の口』に化けたというわけである…」
ローマは現代ヨーロッパにはまだ確かに生きているのです。
最後の15巻の発刊が待ちきれない思いです
【沖縄から札幌へ】
今日は札幌で午後1時半からの会議があるために、那覇空港を8時5分発の飛行機で出発し、羽田で10時50分発の札幌行きに乗り換えるという慌ただしいスケジュールです。
天気はお日様も見える晴れなので天候不順による飛行機のトラブルもなかろうと安心して空港へ向かいました。
予定の便に乗り込んで、滑走路へ飛行機が出発してしばらくしたところで機内放送が始まりました。
「え~、ただいま機内で急病のお客様がいらっしゃいます。機長の判断で再び駐機場へと引き返すことといたしました。お急ぎのところ大変申し訳ございませんが、ご協力の程お願い申し上げます…」
うーむ、私の場合天気によるトラブルは少ないのだけれど、天候以外の理由で飛行機が遅れることがしょっちゅうあるのです。まあいざ自分がそういうことになったら、と考えると「明日は我が身」ということなのでしょうね。
結局飛行機は遅れて出発し、羽田では予定の便の20分後の11時発の飛行機に振り替えて札幌へと向かいました。前の便に乗らない方が良いという何かの暗示だと思うことにいたしましょう。
※ ※ ※ ※
飛行機の長旅は本が良く読めます。面白くて面白くてずっと読み続けてきた塩野七生さんの「ローマ人の物語」ですが、ついにその14巻を読み上げてしまいました。
このシリーズは、著者が一年に一巻ずつを上梓し全15巻で完結するという予定になっているのですが、昨年の12月に発刊されたのがこの第14巻なのです。…ということは、最後の一巻を読む楽しみは年末までお預けということです。なんとも待ち遠しい限りです。
さて第14巻が描く時代は、4世紀の初めから西暦402年までの約一世紀ですが、読んでいて切なくなるほどに、かつてあれほどの帝国を築き上げそれを守り抜いてきたローマ帝国が崩壊の一途をたどる一世紀なのです。
著者はその理由を、北方からの蛮族襲撃の常態化や、その一方で内線による国内精鋭軍の衰退と喪失、そして他人の信仰に対して「寛容」を誇ったギリシャ・ローマ神への信仰が他の宗教に排斥的な一神教であるキリスト教の隆盛などを挙げています。
著者はこの4世紀後半を描きながらこう言います。
「この頃になって私は、ローマ帝国の滅亡とか、ローマ帝国の崩壊とかは、適切な表現ではないのではないかと思い始めている。滅亡とか崩壊だと、その前はローマ帝国は存在していなくてはならない。存在していないのに、滅亡も崩壊もしようがないからである。と言って、分解とか買いたいとかいう表現も納得いかない。全体が解体して個々の物体になったとしても、それは規模が小さく変わっただけで、本質ならば変わってはいないはずだからだ」
「となると、溶解だろうか、と思ったりする。ローマ帝国は溶解していった、のであろうか、と」
「少なくとも宗教面では『溶解』が妥当であるように思う。なぜなら、ローマ人がキリスト教徒に敗れたのではなく、ローマ人がキリスト教徒になってしまった、のだから」
※ ※ ※ ※
強大なローマ帝国にあってローマ市民と指導者層が健全であった時には、指導者層は元老院というチェック機関かつ人材養成機関との権力バランスを取りながら世間の信任を得る形で権力の正当性を保持していたのです。
そのときには、どんなに辛い時代であっても自分たちの指導者は自分たちが選んでその指導者に政治を託す、という強い生き方が当たり前であったのです。
それがキリスト教が台頭してきて、これをローマ皇帝が公認し国教として行く中で、皇帝に正当性を与えるものは「市民の信任」ではなく、「神の意志によるもの」という考え方の変質が起きていったのです。
そこでは神の意志を告げる者という存在としての司教という立場が存在し、この立場が神の意志を代弁するという形で皇帝を選ぶ役回りを持つようになってゆきました。
テオドシウス帝の時代の西暦390年に、皇帝による政治上のある判断に対して時の司教アンブロシウスは厳重な抗議を行い、結果として皇帝の側から司教に対して和解を求めるという事件が起きました。
この700年後の西暦1077年に、イタリア中部のカノッサという町で、神聖ローマ帝国皇帝ハインリッヒ四世が法王グレゴリウス七世に対して許しを請うために三日三晩雪の中に立ちつくした「カノッサの屈辱」と呼ばれる事件が起きます。
これはまさに宗教が政治の上に存在した暗い中世を代表する事件と言われていますが、その萌芽はなんとこの西暦390年に起きていたのです。
ローマ帝国がローマ帝国でなくなったのは、自らのことを自ら選べなくなった時からなのではないか、と思うのです。指導者が判断を間違えるということはあっても、その指導者は自分たちが選ぶのだ、という自己責任のマインドを持ち続けることが出来たことが、ローマ帝国があれほども続いた大きな要因であるように思えるのです。
現代日本に対してこのことはどの様な示唆を与えてくれるのでしょうか。
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エピソードをもう一つ。このキリスト教の国教化の後にはそれまでのローマ神たちの像や彫像の破壊の嵐が吹き荒れます。
「『大競技場』の遺跡からテヴェレ河に向かう途中に、聖マリア・イン・コスメディン教会がある。この教会も他と同様に、四世紀末を境にローマ帝国中の公共建造物がキリスト今日の教会に変えられた例の一つだが、この教会に入ってすぐの前廊の壁面に、通称『真実の口』と呼ばれているものがはめ込まれていて、嘘をついた人は手を入れるとかみ切られるという伝説を信ずる観光客が、いつもその前に長い列を作っている」
「これは実は、古代ローマ時代の舗装街路に降る雨水を集めて、街路下を通っている下水道に流しこむためのマンホールのふたであったものなのだ。大型の円盤に彫られているのは河神の顔で、その神の口が、二千年後の今では『真実の口』に化けたというわけである…」
ローマは現代ヨーロッパにはまだ確かに生きているのです。
最後の15巻の発刊が待ちきれない思いです