北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

口語体と文語体

2006-03-18 23:52:22 | Weblog
 年度末は様々な仕事の締め切りが迫ります。業務を委託される側だけではなく委託する側にとっても受け取りに値するかどうかをチェックして指導する大事な時期なのです。
 職場の人事異動も様相が見えてきました。4月にはいなくなる人も多いのです。後二週間ですから頑張りましょう。

【原稿の修正】
 仕事柄いろいろな報告書作成作業をお願いする事は多いのですが、ある一定の考えの下に修正を要請する事も数え切れません。

 今は自分自身が行った講演録について、講演録の確認を依頼されています。

 時間にして40分のおしゃべりは文字数にすると約1万6千文字で、原稿用紙40枚相当です。

 口頭で話した事を文章化しようとすると、改めて口語と文語の違いを考えさせられます。講演はあくまでも演じるもので、報告書は書かれるものです。

 記録とはいえ、講演録として残すには、講演で話した事が間違っていないかどうかという程度のチェックではなく、口述筆記から起こしたちゃんとした文章でなくてはならないと私は思います。

 そう考えているので講演のときも、できるだけ短い文章ではっきりと話したつもりだったのですが、話したとおりのことを文字興ししてきた文章を見るとがっかりするような下手な日本語にしかなっていませんでした。

 話していて一番まずいと思うのは、話した文章を終わらせる前に出てきた単語の説明を始めてしまう事です。そしてそのことで文章がだらだらと長くなってしまう事です。
 英語で言えば関係代名詞をどんどんつけまくるような文章です。

 これらに修正を加えようとすると、膨大な箇所の修正が入ります。

 我々もそうですが、役人が作る文章は事実を表してはいますが、読む文章として分かりやすいものにはなかなかなりません。役所の文章にも一定の文体があるということでしょう。

 自分の話し言葉を読んでいると「…ということです」表現が多く出てきます。聞いていると違和感はないのかも知れませんが、こうして改めて読んでみると目障りこの上ありません。まだまだ話し方が下手ですね。

    *   *   *   * 

 かつて国土庁の事務次官までやられたSさんという方は、「国土計画ならこの人しかいない」といわれた方ですが、この方の講演録はなんとそのまま文章にしても全く修正をしなくても良いといって評判でした。

 ある方が「どうしてあなたのお話は文章にしても修正せずにそのまま読めるのでしょうか」と訊ねたところ、「僕はその事を40年間考え続けてきたからね」と笑っていたとか。

 語りたい事を雰囲気でそのまま話すのではなく、洗練された文章として口にするというところまで磨き上げる事はできるのです。お手本がそこにあるのですから。

 下手な講演でも、修正が効くならばせめて下手な文章にはしたくないものです。 
コメント (2)
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