昨日の五稜郭タワーについてもう一言述べておきたいと思います。
【新五稜郭タワーのお土産の品揃え】
新五稜郭タワーは、降りるときは展望台の1階に階段で下りて、そこからエントランスの二階に降りてきます。
そのことは乗る人と降りる人の人の流れを分けるためだと思われます。
それはよいとして、二階に降りたつと一階までは階段で降りてくるのですが、一階の出口までのスペースにはお約束通りお土産が並んでいます。
こういうミニテーマパーク的な観光地におけるお土産というものは一体何なのか、ということを常々考えているのですが、私の答えは「魔法にかかった証」だというものです。
ディズニーランドへ行って、帰り際に出口付近に立ち並ぶお土産屋さんで買い物をする来園者の顔を冷静な目で見てみると、皆一様に、今日一日を共に過ごしたディズニーの魔法にかかっている事がよく分かります。
そしてみんなが残り少ない園内の時間を「今日の素敵だった一日を形に残したい」という一心で、形に残るお土産を買い求めているのです。
帰りの電車で良くミッキーの耳の形をしたカチューシャを頭につけたまま、お土産の大きな袋を抱えて眠っている女の子を見かけます。
きっと彼女にはまだディズニーの魔法がしっかりとかかっていて、カチューシャを頭からはずす事が出来ないのです。
きっと翌朝目覚めたときにやっと、その魔法が解けてそれをはずすのでしょうけれど、そこまでがディズニーランドの魔法なのです。
* * * *
私もかつてある美術館でレオナルド・ダ・ビンチ展を見に行ったときに、小さなデッサンに始まって、「最後の晩餐」の模写にいたるレオナルド・ダ・ビンチの世界を見せられたときには、つい出口で「中世の錬金術について」という小難しい本を買ってしまった事を思い出します。
まさに私もその瞬間に、中世ルネサンスの魔法にかかってしまっていたのです。
つまりお土産というものは、それまで引き込んだテーマで来場者に思いっきり魔法をかけて、それが切れないうちに喜んで買い求めていただくものなのだ、というのが私の持論です。
ですから、そのテーマにはずれたものは置かない方が良くて、逆にテーマにはずれたものは魔法を解いてしまうきっかけにもなりかねないのだ、とすら思うのです。
今回の新五稜郭タワーのテーマ性は、幕末の動乱からペリー来航、戊辰戦争から箱舘戦争、土方歳三、榎本武揚を初めとする登場人物の魅力なのではないかと思うのです。
そういうテーマ性を抱え込んだ品物にはお客さんは惹かれるでしょうけれど、それとはさして関係のないような北海道グッズではそのテーマ性が薄れてしまうのではないか、と思います。
人々の好むテーマをドラマ性豊かに表現し、伝えたときには感動が広がって、それがやがて人々をその世界に引き込む魔法に繋がるのであり、テーマパークを自認するのであれば、訪れてくれた人が魔法にかかるまで洗練された内容にしなくてはなりません。
そしてお土産もその一番最後に登場する欠かせない要素なのです。
今日モノにあふれたお客さま達求めているのは感動というコトなのです。
夢を膨らませるように、夢を覚まさないように、夢を長続きさせるように…。そんな工夫と努力が北海道観光にもっと必要なように思います。あるがままを見せるだけではもはや受け入れられない時代になりつつあるのではないでしょうか。
「魔法」 これこそが観光のキーワードなのだと思うのです。
【新五稜郭タワーのお土産の品揃え】
新五稜郭タワーは、降りるときは展望台の1階に階段で下りて、そこからエントランスの二階に降りてきます。
そのことは乗る人と降りる人の人の流れを分けるためだと思われます。
それはよいとして、二階に降りたつと一階までは階段で降りてくるのですが、一階の出口までのスペースにはお約束通りお土産が並んでいます。
こういうミニテーマパーク的な観光地におけるお土産というものは一体何なのか、ということを常々考えているのですが、私の答えは「魔法にかかった証」だというものです。
ディズニーランドへ行って、帰り際に出口付近に立ち並ぶお土産屋さんで買い物をする来園者の顔を冷静な目で見てみると、皆一様に、今日一日を共に過ごしたディズニーの魔法にかかっている事がよく分かります。
そしてみんなが残り少ない園内の時間を「今日の素敵だった一日を形に残したい」という一心で、形に残るお土産を買い求めているのです。
帰りの電車で良くミッキーの耳の形をしたカチューシャを頭につけたまま、お土産の大きな袋を抱えて眠っている女の子を見かけます。
きっと彼女にはまだディズニーの魔法がしっかりとかかっていて、カチューシャを頭からはずす事が出来ないのです。
きっと翌朝目覚めたときにやっと、その魔法が解けてそれをはずすのでしょうけれど、そこまでがディズニーランドの魔法なのです。
* * * *
私もかつてある美術館でレオナルド・ダ・ビンチ展を見に行ったときに、小さなデッサンに始まって、「最後の晩餐」の模写にいたるレオナルド・ダ・ビンチの世界を見せられたときには、つい出口で「中世の錬金術について」という小難しい本を買ってしまった事を思い出します。
まさに私もその瞬間に、中世ルネサンスの魔法にかかってしまっていたのです。
つまりお土産というものは、それまで引き込んだテーマで来場者に思いっきり魔法をかけて、それが切れないうちに喜んで買い求めていただくものなのだ、というのが私の持論です。
ですから、そのテーマにはずれたものは置かない方が良くて、逆にテーマにはずれたものは魔法を解いてしまうきっかけにもなりかねないのだ、とすら思うのです。
今回の新五稜郭タワーのテーマ性は、幕末の動乱からペリー来航、戊辰戦争から箱舘戦争、土方歳三、榎本武揚を初めとする登場人物の魅力なのではないかと思うのです。
そういうテーマ性を抱え込んだ品物にはお客さんは惹かれるでしょうけれど、それとはさして関係のないような北海道グッズではそのテーマ性が薄れてしまうのではないか、と思います。
人々の好むテーマをドラマ性豊かに表現し、伝えたときには感動が広がって、それがやがて人々をその世界に引き込む魔法に繋がるのであり、テーマパークを自認するのであれば、訪れてくれた人が魔法にかかるまで洗練された内容にしなくてはなりません。
そしてお土産もその一番最後に登場する欠かせない要素なのです。
今日モノにあふれたお客さま達求めているのは感動というコトなのです。
夢を膨らませるように、夢を覚まさないように、夢を長続きさせるように…。そんな工夫と努力が北海道観光にもっと必要なように思います。あるがままを見せるだけではもはや受け入れられない時代になりつつあるのではないでしょうか。
「魔法」 これこそが観光のキーワードなのだと思うのです。