国土交通省の発行している広報誌に「国土交通」という冊子があります。今日はこの中の面白かった記事のご紹介です。
【不機嫌退治法】
国土交通省広報誌「国土交通」は、A4サイズで毎月一冊を発行しています。ページ数にして約70~80ページで、フルカラー。なかなか質の高い冊子です。
この2006年2月号は通巻の62号にあたります。毎月一定の特集企画と連載企画の二つがあり、この号の特集は「都市と農山漁村の『二地域居住』への提言」ということになっていて、座談会や解説、寄稿、各地の取り組み事例紹介などが続いています。
それはそれとして、今回目を引いたのは連載の中の「新広報実践教室」というコラムでした。
このコラムは毎日新聞特別顧問の諏訪正人さんが連載をしているもので、今号のお題は「文章の書き方『不機嫌退治法』」とあります。
内容を紹介すると、世の中にはいろいろな健康法があるけれど、フランスの哲学者アランは上機嫌療法を提唱した、といいます。要するにしゃくにさわることがあっても、むきにならずににっこり笑って上機嫌に振る舞えば、精神が健康になる、というものです。
アランはその著書「幸福論」のなかで、「…考えがとげとげしくなるようなときには、人は何でも激しく批判しがちになるが、考えがこういう方向に向いたときこそ、上機嫌療法をする必要がある」という趣旨のことを述べているそうです。
諏訪さんの文章には「(アランが)同じ『幸福論』のなかの『上機嫌』と題した語録には『私達は、あまりにたやすく、またあまりにもささいなことが原因ですぐ不平を言う。悲劇的な大げさな言葉で自分自身の心を引き裂いたり、それを伝染させて他人の心を引き裂いたりしないようにしなければならない。他人に対しても自分に対しても親切にすることだ。他人の生きるのを助け、自分自身の生きるのを助けること、これこそ本当の慈愛なのだ。親切は喜びである。愛は喜びである』と説明しています」とある。
相手を目の前に置かないで書く文章はついつい批判の仕方が過激になりがちだし、自分の鬱憤を文章で晴らそうとすれば、気に入らないことをあげつらって溜飲を下げるということになりがちです。
それはそれで、個人攻撃になりさえしなければ書く側には程の良いストレス解消の方策かも知れません。
しかし何かの拍子でそんな文章を目にする読者にとってそれが読者を幸せにするか、ということになるとそうはいかないでしょうね、というのが正直な感想です。
人の不機嫌な様子を見て、こちらの機嫌が良くなることなどないでしょう。
※ ※ ※ ※
諏訪さんによると「このアランの言葉を文章で書く上で実践したのが薄田泣菫(すすきだきゅうきん)だった」といいます。
大正から昭和の初めにかけて彼が大阪毎日新聞に連載したコラム「茶話」について丸谷才一氏は「泣菫の随筆は暖かい肌合いがある」と述べているそうです。
その丸谷才一氏自身は今度は著書「思考のレッスン(文藝春秋)」のなかで。「日本の小説はなぜこんなにげんなりするような陰気なことばかり扱うのだろう」と不思議に思ったのだそうです。挙げ句の果てに「どうやら日本の小説というものは、ただいやなことを書く、読んでいて不愉快になることを書くと言うことが大事なことらしい。読者に対して嫌がらせをするように書けば、文学的ということになるらしい」とさえ言っているのだそうです。
諏訪さんも「文学だけではありません。いまも、社会、政治、経済全般、なににつけ、姿勢を正して、改まって書こうとすると、不機嫌な書き方になるから不思議です」と書いています。
私の文章も、常々批判がましいことは出来るだけ書かずに、世の中で出会った面白いこと、頑張っていること、嬉しいことを中心に書くように心掛けていますが、それはその方が読者にとってもきっと読んでいて気持ちが楽になるに違いないと思っているからです。
人の不満や不平を読まされるというのはなんとも時間を損した気分になるのではありませんか。健全な批判は必要なのでしょうが、それとても全体の中ではスパイスの様なものであるほうがよいでしょう。
スパイスだけでは料理にはなりませんし、少量だからこそ料理を引き立てることにもつながるのでしょう。
今日から自分だけでも上機嫌療法を取り入れてみてはいかがですか。導入にはお金や高価な道具も必要ありません。気の持ちよう一つで良いのですから。
こんな広報誌も読んでみると結構面白いですよ
【不機嫌退治法】
国土交通省広報誌「国土交通」は、A4サイズで毎月一冊を発行しています。ページ数にして約70~80ページで、フルカラー。なかなか質の高い冊子です。
この2006年2月号は通巻の62号にあたります。毎月一定の特集企画と連載企画の二つがあり、この号の特集は「都市と農山漁村の『二地域居住』への提言」ということになっていて、座談会や解説、寄稿、各地の取り組み事例紹介などが続いています。
それはそれとして、今回目を引いたのは連載の中の「新広報実践教室」というコラムでした。
このコラムは毎日新聞特別顧問の諏訪正人さんが連載をしているもので、今号のお題は「文章の書き方『不機嫌退治法』」とあります。
内容を紹介すると、世の中にはいろいろな健康法があるけれど、フランスの哲学者アランは上機嫌療法を提唱した、といいます。要するにしゃくにさわることがあっても、むきにならずににっこり笑って上機嫌に振る舞えば、精神が健康になる、というものです。
アランはその著書「幸福論」のなかで、「…考えがとげとげしくなるようなときには、人は何でも激しく批判しがちになるが、考えがこういう方向に向いたときこそ、上機嫌療法をする必要がある」という趣旨のことを述べているそうです。
諏訪さんの文章には「(アランが)同じ『幸福論』のなかの『上機嫌』と題した語録には『私達は、あまりにたやすく、またあまりにもささいなことが原因ですぐ不平を言う。悲劇的な大げさな言葉で自分自身の心を引き裂いたり、それを伝染させて他人の心を引き裂いたりしないようにしなければならない。他人に対しても自分に対しても親切にすることだ。他人の生きるのを助け、自分自身の生きるのを助けること、これこそ本当の慈愛なのだ。親切は喜びである。愛は喜びである』と説明しています」とある。
相手を目の前に置かないで書く文章はついつい批判の仕方が過激になりがちだし、自分の鬱憤を文章で晴らそうとすれば、気に入らないことをあげつらって溜飲を下げるということになりがちです。
それはそれで、個人攻撃になりさえしなければ書く側には程の良いストレス解消の方策かも知れません。
しかし何かの拍子でそんな文章を目にする読者にとってそれが読者を幸せにするか、ということになるとそうはいかないでしょうね、というのが正直な感想です。
人の不機嫌な様子を見て、こちらの機嫌が良くなることなどないでしょう。
※ ※ ※ ※
諏訪さんによると「このアランの言葉を文章で書く上で実践したのが薄田泣菫(すすきだきゅうきん)だった」といいます。
大正から昭和の初めにかけて彼が大阪毎日新聞に連載したコラム「茶話」について丸谷才一氏は「泣菫の随筆は暖かい肌合いがある」と述べているそうです。
その丸谷才一氏自身は今度は著書「思考のレッスン(文藝春秋)」のなかで。「日本の小説はなぜこんなにげんなりするような陰気なことばかり扱うのだろう」と不思議に思ったのだそうです。挙げ句の果てに「どうやら日本の小説というものは、ただいやなことを書く、読んでいて不愉快になることを書くと言うことが大事なことらしい。読者に対して嫌がらせをするように書けば、文学的ということになるらしい」とさえ言っているのだそうです。
諏訪さんも「文学だけではありません。いまも、社会、政治、経済全般、なににつけ、姿勢を正して、改まって書こうとすると、不機嫌な書き方になるから不思議です」と書いています。
私の文章も、常々批判がましいことは出来るだけ書かずに、世の中で出会った面白いこと、頑張っていること、嬉しいことを中心に書くように心掛けていますが、それはその方が読者にとってもきっと読んでいて気持ちが楽になるに違いないと思っているからです。
人の不満や不平を読まされるというのはなんとも時間を損した気分になるのではありませんか。健全な批判は必要なのでしょうが、それとても全体の中ではスパイスの様なものであるほうがよいでしょう。
スパイスだけでは料理にはなりませんし、少量だからこそ料理を引き立てることにもつながるのでしょう。
今日から自分だけでも上機嫌療法を取り入れてみてはいかがですか。導入にはお金や高価な道具も必要ありません。気の持ちよう一つで良いのですから。
こんな広報誌も読んでみると結構面白いですよ