北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

ブレイクスルーと品性の間

2006-06-11 23:23:51 | Weblog
 やっと朝から清々しい晴天が広がりました。久しぶりの晴れ間で気持ちも明るくなります。
 今日はヨサコイの最終日です。まちなかは賑やかになりそうです。
 
【YOSAKOI】
 ヨサコイはいつもテレビで見るだけなのですが、今年のYOSAKOIソーラン大賞は新琴似天舞龍神が3連覇を果たしました。

 夜遅くまで民放各局が特番を組むほどの盛り上がりを見せるヨサコイは、よくぞここまで盛り上げたものだと感心するばかりです。

 私の娘は今回第4位に入ったVOGUE038(『ヴォーグまるみや』と読むのだそうです)に友達がいるとかで、土曜日はおっかけになり、電話投票も依頼してきました。

 この手の電話投票がどのようにして最終的な順位に反映されるのかよく分かりませんが、いずれにしても多くの人が関わるような仕掛けがなされているところがポイントでしょう。

 チーム名が自分の所属であるのは当然として、スポンサー名もつけたチームも多く、そのあたりに商売っ気を感じて眉をひそめる人がいるのも事実かも知れません。

 しかし、このような活動にお金を出しても良いという企業やスポンサーがいて、立派な経済活動になっているという事実は、どのようなことにならお金を出す気になるか、という経済原理がよく分かって面白いものです。

    *   *   *   * 

 先週村上ファンドの村上世彰社長が逮捕前に記者会見をしているシーンがテレビで放映されていました。その際に村上氏が「金儲け、悪いですか?僕、むちゃくちゃ儲けました。でも法律の範囲で儲けて何が悪いんだろう?」という趣旨でした。

 今回は法律の範囲を超えて儲けてしまったのが悪かった、というオチなのですが、法律だけが世の中のきまりごとの全てだと言い切ってしまったところに多くの人が品のなさを感じてしまった事でしょう。

 法律で判断される前に、自ら律して踏み込まない常識や良心の一線があって、苦しくてもその一線の前で踏みとどまっているところに日本人の好む「品性」や「美学」があると思うのです。

 もちろん品性や美学、常識などは成文化されるべきものではありませんので、時と場合と状況によって変わりうるものであるという理解も必要です。

 しかし常識は誰が基準になるのでもなく、多くの人がなんとなく感じている一線を超えるか超えないかこそが基準になるということでしょう。

 もちろん法律それ自体は抜け穴を塞ぐようなメンテナンスが常に必要ですが、法律に書かれる手前にある良識を軽々と平気超えてしまう人がいるという冷徹な事実や、しかしそれでも「自分だけはそうなるまい」と自らを律する人が多いという事実こそが世間の現実と理解すべきなのでしょう。

 もっとも、社会の閉塞感をブレイクスルーする大きな活躍はこうした常識を逸脱してあまりある人の中から登場するという事も、歴史を眺めていて良く伺えることなのです。

 YOSAKOIが世の中をブレイクスルーするイベントと思うか、品がないと思うかは皆さんの自由です。あなたはどちらですか。

 
コメント
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