北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

自己責任と社会制御

2006-06-28 23:44:50 | Weblog
 午後には雨が降るという予報だったにもかかわらず、青空も見える快晴。こんなはずし方も珍しいくらいのおおはずれ。

 気温も上がって蒸し暑いくらい。やっと初夏らしい陽気になりました。

【自己責任と社会制御】
 以前夜にタクシーに乗ったときに、信号が青になって発信したところで100メートル先の赤信号でまた止まる羽目になりました。

 その信号は一方通行に繋がる交差点で深夜に交通が発生するような交差点ではないだけに、こんなところの赤信号で止められたことに運転手さんは苦笑いして、「こんなところで深夜ぽつんと止められるのもどうかと思いますよね」と一言。

 私も応じて「そうですよね。せめて黄色の点滅にすれば車が来ているかどうかを確認して進めますよね。その方が燃料が無駄になりませんよね」
 「それに何よりイライラしなくてすみますよ」と運転手さん。

 そんな会話をしながら家まで帰った事を思い出しました。

 その話で思い出したのですが、日本では道路の交差点の処理にロータリーを使うことに警察が非常に消極的なのだとか。

 私としては、ロータリーで譲り譲られながら進行する方が車も来ないのに赤信号で止められているよりも効率的なのではないかと思うのですが、警察は信号を使って強制的に止めたり進行させる方を好むのです。

 日本人はそんなときにドライバー同士で譲ったり譲られたりしながらという一瞬の人間関係を作りながら進むよりも、「面倒くさいからだれか決めてくれればそれに従うよ」という考え方の方が強いのかも知れません。

 自分の判断で行っても良い、と言われたときに自己責任で進む事ができるでしょうか。

 もっとも、信号で交通を制御すれば、事故があったときなどにどちらに責任があるのかがはっきりしますし、信号を遠隔で操作する事で渋滞の長さをコントロールする事もできそうです。

 交通制御に自己責任を持ち出すのは現実的ではないのかも知れませんが、なにかヨーロッパの国々と日本のお国柄の違いを見るようで、面白く思いますね。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする