北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

エレベーターの論理

2006-06-15 23:27:27 | Weblog
 神宮のお祭りは雨で大変そうです。ライラックが盛りを過ぎました。これでニセアカシアの花が咲くようになるともう季節は夏の彩です。
 
【エレベーターの論理】
 シンドラー社製のエレベーターによる死亡事故が発生してからというもの、エレベーターに乗るたびに「メーカーはどこだろう?」と見てしまう人が増えたのではないでしょうか。はい、私もその一人です。

 職場の建物が、省エネを本格的に進めるというので五基あるエレベーターを朝夕の繁忙時間帯を除いて日中は一基を休ませ、エレベーターホールも蛍光灯の数を減らして薄暗くするなどの対応を春から始めました。

 「省エネに努めましょう」などという掛け声だけでは実績が上がるはずもなく、こうして目に見える形で実践を行うほうが心に響くというものです。こういうことを他人事と思わず自分のこととして感じられる感性を持ちたいものですね。

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 混んだ電車が来たときに、列に並んでいてなんとか自分だけは乗り込みたいと思うものですが、その自分が乗り込むことに成功したときには「もう入れないから押すな!」と思いがちです。

 乗ってしまった後は自分の後ろの人のことを考えて「もっと詰めてください」と言いたいものですが、しばしばそういうことはせずに「もう乗れない、自分が最後だ」と思ってしまうのです。

 これを私は「満員電車の論理」と名づけています。いつも自分だけが最後においしい目に会いたいと思う心理構造です。

 これと似たようなことで「エレベーターの論理」というものもあって、上のほうから下に向かって降りるときに、自分より後に乗り込んできて自分よりも先に下りるという人を見ると不快に感じませんか?
 ましてそれが、たった一階や二階だけをエレベーターで降りるような人に出くわすと、「おいおい、階段で降りてよ」と思いがちなのです。

 いざ自分自身が後から乗って先に下りるときにはそのようなことは考えないものですが、立場が変わると不快に思うというのも大人気なかったり情けなかったりするものです。

 どんなに自分が急いでいるときでも、自分ひとりだけで生きている社会ではない、ということを思う余裕があれば良いのですが。

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 シンドラー社から全国でのシンドラー社製エレベーターの納入リストが公開されたそうで、全国で8千箇所以上にのぼるそうです。

 エレベーターメーカーが悪いのか、系列から切り離されたメンテナンス専門メーカーが悪いのかはまだ調べがついていないようですが、自分達が企業活動で社会に貢献しようと思う気持ちが薄れているような気がするのは私だけでしょうか。

 シンドラー社からのリストを「シンドラーのリスト」といった知人がいますが、これってパニック映画ではなく感動映画だったはずなのですがねえ。
 
コメント
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