北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

グローバル化するということの意味

2008-05-26 23:51:30 | Weblog
 大相撲の五月場所は琴欧州の優勝で幕を閉じました。最後の横綱同士の千秋楽の一番でミソをつけましたが、全ては琴欧州の笑顔に免じていいことにいたしましょう。

 今の相撲は外国人力士が番付の上位を占めるようになりました。外国人が最も日本らしい文化である相撲に参加し、大関や最高位の横綱として支えてくれているのです。

 日本人は外国人に対して閉鎖的かというと案外慣用で、単に外国人だからというということで排斥するわけではなく、強ければ外国人であろうとその世界で出世し活躍をすると言うことに関しては、現実を受け入れてしっかりと評価し応援もしているようです。

 プロ野球だって、ひいきのチームに勝利をもたらす外国人の活躍には喝采をおくるはず。そこには「日本のチームなのだから、参加メンバーは全て日本人でなくては駄目だ」などという狭量な国粋主義はありません。

 イチローや松井がメジャーリーグで活躍することを多くの日本人もアメリカの人たちも正当に評価しています。人材のグローバル化はどんどん進行しています。

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 話題を日本の構造改革に転じると、政府の中枢でも構造変化と日本経済について今真剣な議論が交わされています。

 M&Aという企業買収の方法がありますが、日本の企業を外国の資本が買収するということも最近では良くある話。なにしろ今世界では使い切れない資本が優良な投資先を鵜の目鷹の目で狙い、求めているのですから。

 日本の企業への投資を海外の企業に広く開放するのも立派なグローバル経済への参加です。逆に考えると日本の企業だって海外の企業を買収して利益を上げようと企業努力を続けているのです。

 しかしながら、市場経済というものに対して日本企業のなかには意識がまだまだ低いところも多く、敵対的な買収に対してこれを嫌う経営者もたくさんいます。

 最近では○ルドッグソース事件やJパ○ー事件などに見られるように、司法も結果として海外への門戸を閉ざすような判断を下したことで、「日本は経済をグローバル化する気がないのではないか」と思われるのではないか、という懸念が識者の間で広がりつつあります。

 日本経済のこれからは、グローバル化して海外の資本や人材も積極的に受け入れ、その恩恵を国内・国民に配分するという生き方を目指すべきだ、というのが現在の政府の主流です。私もそれが正しい選択なのだと思う一人です。

 そして経済をグローバル化するときに必要な条件が、日本では英語が通じない、ということや非効率な企業が延命を続けるような既得権益の排除、新しい価値を生み出す人材の育成と海外からの引き寄せということなのです。

 日本には天然資源がほとんどありません。こんな国が世界とまともに互して行くためにはとにかく人的資源のみが頼りなのです。

 文科省が小学校から英語を学ばせようという流れを打ち出しているのも、国を挙げて、とにかく英語が話せる人ならば生活できる社会を形成しなくては投資も人材もやってこない、ということへの対応の端緒なのです。

 人材がこぞって押し寄せてくるようなところでなければ、逆に人材はどんどん流出してしまうということ。分水嶺のどちらに位置するかが発展するか衰退するかの分かれ道というわけ。

 日本人として、日本語や日本文化へのこだわりをもつことは当然ですが、それを支えてくれる人が日本人かどうかということは全く別の問題。

 そのためには日本文化を理解する日本人として日本社会にも価値を生み出す形で貢献できる人間にならなくてはなりません。

 そういうことを目指す風潮や目的意識、意欲をしっかりと見据えたいものです。
 
コメント
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