長期に休むと、職場のメールが大量にたまっています。
ICT技術のお陰で情報が伝達しやすくなったのは良いのですが、何でもかんでも送っておけばよい、という考えで『保険をかけておく』と言った気持ちで、とりあえず連絡しておくという内容の情報も多くなりました。
「一応送っておくけど、読まないとすればそれは読まないあなたが悪いんですからね」と言われているようで、一生懸命にメールを開きますが、実感として、重要な情報はほんの一部にとどまります。
伝達が難しければ組織の下の方で自主的に判断して、本当に大事な情報だけが上がって行くことになるのですが、今はそれが簡単に伝達できるので、情報も玉石混淆状態です。
部下にとってみれば、情報を正しく全て上げるのが正しい行動なのか、それとも適切に取捨選択して大事と思うものだけ上げるのが良いか、に迷うもの。
良かれ、と思って取捨選択したところ、「判断が悪い、全部あげろ」と言われたらやる気もなくなってしまい、「じゃあ全部あげますね」ということになり結局そう指示した上司の負担になってしまいます。
情報を挙げる選択の仕方には王道はないので、常に臨機に判断するしかありません。その判断力もまた実践で身につけるべき社会でのスキルということになるのでしょうが。
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情報はただ上げればよいというものではない、というのは特に非常時に表れます。
防災を担当する部所は、平時は暇そうに見えますが一旦災害が訪れると、あらゆる情報が集中してきてしばしばオーバーフロー状態になります。
それなのに、平時の仕事ぶりをみて「これも防災担当がやるべきだ」、「当然これも防災担当が判断して支持すべきだ」という、「べき論」で仕事が増えてゆきますが、非常時にはそれらはすべてオーバーフロー情報になりさがります。
中枢にいるほど、真に大切なことからしか処理できないので、いざというときには、「この分野の情報処理はここに任せる」という緊急避難を想定した体制を平時において作っておくべきです。
しばしばそれは、実際に災害が起きて情報洪水に忙殺されてみないと分からないことなのですが、そうした経験を積むことで、情報処理と対処方針作成などを切り離せるようなオペレーションが可能になって行くことでしょう。
災害や不幸が訪れないに越したことはありませんが、そうしたことに立ち向かって反省を繰り返すことなしには得られないことも多いのです。
苦しみや悩みこそ、正しく立ち向かうことで人生の階段を一段上げてくれる機会だととらえるべき。ストレスは耐性を養います。
人生、順風満帆だけが幸せなわけではありませんね。