北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

三人のレンガ職人の話 ~ 致知1月号より

2019-01-07 23:46:31 | Weblog

 

 人間学を学ぶ月刊誌「致知」の今月号から。

 タレントで画家の片岡鶴太郎さんと、㈱新規開拓の社長である朝倉千恵子さんの対談記事に、「志が問われる時代」として、「三人のレンガ職人の話」が載っていました。

 上記の朝倉さんが語るお話の中で、大意はこんな感じ。


 中世のヨーロッパで、旅人が三人のレンガ職人に出合いました。

 旅人が「何をしているのですか?」と訊くと、最初の男は、「親方の命令でレンガを積んでいるのさ」と面倒くさそうに答えました。

 二人目の男は、「レンガを積んで壁を作っているんだ。大変だが賃金が高いからやっているのさ」と答えます。

 ところが三人目は、「完成まで百年以上かかる教会の大聖堂を作っているんだ。完成すれば多くの信者の拠り所となるだろう。こんな仕事に就けて本当に光栄だよ」と答えました。

 三人のやっている仕事は一緒です。しかし志が違うんです。

 一人目は言われたからやっているだけで、二人目は食べるためにいや応なしに働いている。

 しかし三人目は、歴史的な事業に参加して多くの人を喜ばせたいという目的意識をもって仕事をしている。

 しかも、自分が完成を見届けることのできない百年先を見据えて仕事に取り組んでいるのです。

 と、ここまでは知っている方もおられるかもしれません。

 ところがこの話には続きがありました。十年後にこの三人がどうなっていたか、というエピソードです。

 一人目は、相変わらず文句を言いながらレンガを積んでいました。

 二人目は、賃金は高いけれど危険の伴う屋根の上で仕事をしていました。

 そして三人目は、現場監督として多くの職人を育て、出来上がった大聖堂には彼の名前が付けられたのでした。


      ◆


 対談では、この話を聞いたときに、片岡鶴太郎さんがこう述べていました。

「最近の大人は、子供たちに『君の夢は何ですか』って訊くんですけど、僕が子供の時は、『君の志は何ですか』と訊かれたもので、今はこの"志"という言葉がなかなか聞かれなくなりました。

 夢というと、子供たちはサッカー選手とか野球選手とか、憧れの職業を上げますが、それら華やかです。

 でも志というと、生涯かけて貫いていくような、何かぐっと本質に迫ってくるものがあるのじゃないでしょうか…」


 
 
      ◆

 
 経済が栄えるとか、効率性が高くなるなどといった、数字で表しやすい基準ばかりが評価される時代ですが、捉えどころがなくてもわかる人には分かるような美学は、いつのときもないがしろにできるものではありません。

 今日、ある女性と話をしていたら、「私、最近バスや地下鉄で座席が空いていたら、すぐ座るようにしているんです。そして、お年寄りやお母さんなどが乗ってきたらその席を譲れるように。座席を譲らない人にイライラするくらいなら、その方がいいと思うんです」と言っていて、大いに賛同しました。

 高い志に、人は感動し、その感動は伝わってゆくことを信じましょう。

 

コメント
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