北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

見えない力を感じますか

2019-08-02 23:27:15 | Weblog

 

 昨日は知人の高校時代の話でしたが、今日は私の中学校時代の話。

 私の場合、札幌で入学した中学校一年生の時の英語の先生が怖い先生で、私にはまったく苦手な先生でした。

 そのため成績はダダ下がりの一方に。

 Be動詞とDo動詞の区別がつかなくて、小学生の時から英語を習っていた弟に「どうして I am do ってならないの?」と質問するくらい、英語がどんなものだかわからなくなっていました。

 テストも当然点数が取れるはずもなく、中学一年の時はテストはだいたい30点くらいしか取れていませんでした。

 
 転機になったのは中学校2年生の時に札幌から旭川へ転校したことでした。

 そこでの英語の先生も厳しい方でしたが、独特だったのは英語の時間の最初の5分で、前回授業の中身を問う豆テストを行ってくれたことでした。

 転校したてのときに私はなんと全5問の豆テストで0点を取ってしまいました。

 回答を一人一人に配って返す先生からは「小松、頭剃ってこい!」とげきを飛ばされたのを今でも覚えています。

 ちなみに当時の旭川の中学校は男子は坊主頭だったのです。

 さすがに私も(これはまずい)と気が付いて、そこから(せめて豆テストだけは点が取れるようにしよう)と思い、授業のノートを取るようになって授業の復習から始めて勉強らしきことをするようになりました。

 すると次第に豆テストの点数が取れるようになり、授業がだんだんわかって面白くなり、やがて教科書の少し先を事前に調べる予習もするようになり、成績は少しずつ上がり始めました。

 結局高校受験の時も大学進学の時も、英語は得点源の科目になってその後の人生を助けてくれました。

 もしもあのときに転校せずに札幌の中学校に居続けていたら、と思うとぞっとします。

 あくまでも過去を振り返ったらそうだった、ということなので、転校が良いとか環境を変えると良いことがある、などと短絡的な結論を言うつもりはありません。

 ただ、解決できないことがあって困ったときには環境を変えるということも選択肢の一つなんだな、と思う次第。

 ややオカルトじみますが、ご先祖様なのか背後霊なのわからなくても、何か見えない力に救われたなあ、と思うこともしばしばです。

 見えない何かを畏怖する気持ちって、それが信仰にせよ宗教にせよ、必要なように思います。

 お盆が近いですね。

 ご先祖様に思いをよせる季節です。

 

コメント
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