お盆前に釣り友達から、「お盆の週の後半に道東へ鮭釣りへ行きますが、もしよかったら様子を見に来てください」と誘われていました。
以前から、「道東ではお盆過ぎくらいから鮭が釣れるんですよ」と人づてに聞いていたので、これはチャンスと思い、「行きます、きっと行きますよ」と答えていました。
道東の宿も確保して、今日から二泊三日の予定で現地に向かい、メインの鮭釣りは16日にしようと考えていました。
ところがここへ来て台風10号が北海道の方へ向かっているという怪しげな雲行き。
鮭釣りの前後にはまた道東の川で夏の終わりの釣りを楽しもうかと思っていましたが、どうやら全般を通じて雨の予報が出ています。
鮭は港で釣るというのですが、風も強くなりそうで不安は高まる一方。
そこで現地で先行して釣りに入っている友人に、メールで「釣れてますか?」と訊くと、「駄目です。まだ鮭が来ていません。今回は今日で上がります」という返事。
半分日和っていた自分もこれで納得して、「では我々も鮭釣りは止めておきます」と返事をして、お宿もキャンセルすることにしました。
ところが、(危ない思いをしてまで釣りに行くこともないよね)と自分に納得をさせたものの、せっかくのお休みにすることがなくなりました。
仕方がないので、古くなってフライを巻き直して次の釣りに備えています。なんだか時間がもったいない気がします。
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釣り道具の"シマノ"から送られてくる"Fishing Cafe"という釣り雑誌の今月号には、この春に亡くなった辺境カメラマン残間正之さんの遺稿が掲載されていました。
最終回となった彼の原稿で残間さんは、釣りを世界を旅するときのコミュニケーションツールだと感じていたようです。
そして、「魚を釣るために魚を知り、魚が知りたいがために自然や社会を俯瞰でき、仲間や先輩などたくさんの人々を釣った。というより『温かく釣られてしまう人生』を過ごすことができた」と綴っています。
彼の原稿の最後のフレーズは、「釣り師としてははなはだ不謹慎だが、『釣りで魚なんか釣ってんじゃねーよ』というのが僕の心境だ」というものでした。
残間さんは、釣りは魚を釣るふりをして実は人を釣る技術なんだということを実に良くわかっていた方でした。
新盆の今週は、仲間たちが彼の墓参りに参集していることと思います。
さて、釣りで人が釣れるようになるにはあと何年かかるでしょう。
今生では難しいかもねえ。